話数単位で選ぶ、2019年TVアニメ10選

 今年も参加。

 

『バビロン』2話「標的」

サザエさん』7935話「男の休日」

『グランベルム』6話「魔石」

『KING OF PRISM -Shiny Seven Stars-』11話「一条シン SIN」

『スター☆トゥインクルプリキュア』43話「笑顔への想い☆テンジョウVSえれな!」

キラッとプリ☆チャン』77話 「ナゾのアイドル ついにデビュー!だもん!」

ブギーポップ』5話「VSイマジネーター2」

『ケムリクサ』11話

Fate/Grand Order -絶対魔獣戦線バビロニア-』10話「こんにちは、太陽の女神」

ゲゲゲの鬼太郎』72話「妖怪いやみの色ボケ大作戦」

 

 

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地上波放送を記念してポータルサイト的なものを作ってみた。

 

お勧め

 5000億点を出した宇多丸さんのラジオ番組の全文おこし(注釈詳細)。

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 作家高橋源一郎と片渕監督の熱のこもった対談。

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 思い入れのある記事。片渕須直監督、大林宣彦監督の戦争を題材にした二作品がある俳優を軸に交差する。

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考察・疑問(イベント質疑応答まとめ)

 

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ラジオ、イベントの文字起こし(公開前後の今ではあまり読めないものもあります)

 

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私とこの世界の片隅に(映画製作以前から見守り続けた私的な記録)

 

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お暇な人向け(細かい考察と雑文)

 

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話数単位で選ぶ、2018年TVアニメ10選その後。

というわけで、昨年も参加できた本企画を振り返る。

自分の上げた記事はこれ。

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10本を抜き出すとこれ。

HUGっと!プリキュア』』37話「未来へ!プリキュア・オール・フォー・ユー!」

ゾンビランドサガ』』2話「I♡HIPHOP SAGA」

やがて君になる』6話「言葉は閉じ込めて/言葉で閉じ込めて」

ヴァイオレット・エヴァーガーデン』6話「どこかの星空の下で」 

レイトン ミステリー探偵社 〜カトリーのナゾトキファイル〜』15話「カトリーエイルとミステリーサークル」

サザエさん』7735話「わたしの天職」

ヤマノススメ サードシーズン』10話「すれちがう季節」

宇宙よりも遠い場所』12話「宇宙よりも遠い場所

僕のヒーローアカデミア』41話(三期3話)「洸汰くん」

ゲゲゲの鬼太郎』(第6シーズン)20話「妖花の記憶」

 

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話数単位で選ぶ、2018年TVアニメ10選

 今年も参加。

 

HUGっと!プリキュア』』37話「未来へ!プリキュア・オール・フォー・ユー!」

ゾンビランドサガ』』2話「I♡HIPHOP SAGA」

やがて君になる』6話「言葉は閉じ込めて/言葉で閉じ込めて」

ヴァイオレット・エヴァーガーデン』6話「どこかの星空の下で」 

レイトン ミステリー探偵社 〜カトリーのナゾトキファイル〜』15話「カトリーエイルとミステリーサークル」

サザエさん』7735話「わたしの天職」

ヤマノススメ サードシーズン』10話「すれちがう季節」

宇宙よりも遠い場所』12話「宇宙よりも遠い場所

僕のヒーローアカデミア』41話(三期3話)「洸汰くん」

ゲゲゲの鬼太郎』(第6シーズン)20話「妖花の記憶」

 

 

 

1『HUGっと!プリキュア』』37話「未来へ!プリキュア・オール・フォー・ユー!」

脚本:村山功 コンテ:田中裕太 演出:田中裕太 作画監督青山充

This is タナカリオンといった感じの一本。コンセプトはTVシリーズプリキュアオールスターをやるというものだが田中裕太らしさが溢れている。

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作画も動かすところは動かすが、枚数を使わずに見せ方を工夫するとところがよく出ていた。

声なしのキャラを不自然に見えさせない工夫、しかも所作や技でそのキャラの個性を出している。それぞれの繰り出す技も過去作のオマージュではなく、設定と過去のエピソードを踏まえたもので、彼の中ではカメラが回っていなくてもキャラがずっと生きている。

圧巻は自身が監督を務めたプリンセスプリキュアの登場シーンだ。プリンセスプリキュアプリキュアオールスターの中でどんな立ち位置なのか示した作品は今まで一本もなかった。プリキュアのなかにあっても彼女たちはプリンセスなのだ。

きっと制約がいっぱいあった。その中でも面白い作品を作れる田中裕太は、真の意味で東映のマエストロだ。ありがとう。

 

2『ゾンビランドサガ』2話「I♡HIPHOP SAGA」

脚本:村越繁 コンテ:石田貴史 演出:石田貴史 作画監督大島美和、和田伸一、仁井学、二松真理、首藤武

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メディア芸術祭トークショー『この世界の片隅に』音声おこし

2018年6月23日にTOHOシネマズ 六本木ヒルズで行われた文化庁メディア芸術祭内イベント「アニメーション部門大賞『この世界の片隅にトーク付上映」の音声おこしです。※適宜修正を加える予定です。

 

トークショー動画の音声を文章化したもので、文責は私「an-shida」です。

・読みやすいように語順の調整などをしています。また言い間違いだと私が判断したものについては注釈なしで直している箇所があります。

・公式の指示があったときは速やかに公開を停止します。

・もし公式の要請があれば本おこしを提供いたします。

 

 参照動画

 

文化庁メディア芸術祭この世界の片隅にトークショー
登壇者 吉田正夫(審査委員) 片渕須直(監督) のん(主演女優)

 

片渕 ここは東京国際映画祭でプレミア上映をやったところなので、すごく懐かしいですね。それから随分経ったんですけど、いまだに劇場で上映が続いていてありがたいなと思ってます。
吉田 アニメーションって基本的にはたくさんの人で作る作品だと思うんですけども。個々の作品を好きだから作るっていうところがあると思うんですね。ということは好きにならないといけないようなところがあると思うので、好きになるという意味では自分の分身を映画の中で描いてるように感じるところもあると思います。ということで考えると、のんさんにとってのすずさんて自分の分身として感じるとしたらどんな感じなのかな、ということと。キャラクターのかたちそのものが似てるようにも見えるので、キャラクターから入っていただいてもいいんですけど、性格的にとか、似てるところがあるなということをお聞きしたい。片渕さんの作品も似たような主人公が多いし、そこには片渕さんの分身的な要素が入ってると思うので、その辺どういう風にして、作品の世界、キャラクターの中に入り込んでいくのかというようなことを、ちょっとお聞きしてみたいと思うんですが。のんさんからいかがでしょうか。
のん えっ、と……。すずさん、私は役に取り組むときに、最初に自分との共通点を探してそこから広げていくっていう風に言ってるんですけど。そのときに見つけたのは、ぼうっとしてるって言われやすいとこだったりとか。
一同 (笑)。
のん 実は力強いところがあったり、おとぼけて見せたりとか、あたりが好きなところだったり。そういうところは自分と似てるかなって思いますね。

吉田 ありがとうございました片渕さんいかがでしょうか。
片渕 (マイク入っておらず)※※※※※。
一同 (笑)。
片渕 (笑)。(音声入る)それがね、言われるまでちょっと意外だったところがあるんですけど、言われてみると、やっぱりそれぞれの登場人物がどこで何を感じてっていうところでは、自分で一つ一つ納得しながらやってきたことではあるから、どっかで自分とおんなじように、同じシチュエーションなら同じように感じてるんだろうなって、改めて思うと思いますね。
吉田 メディア芸術祭の受賞式の時にタミヤ模型の社長と、片渕さん会話しててそこで面白いと言ったのは、そのメジャーで測るということを社長。が言っていたときに、片渕さんも「私もメジャーで測る」っていう風に言ってたんですよね。その辺もちょっと説明をしていただけると。
片渕 田宮俊作さんが功労賞を取られて、模型会社の社長さんで会長さんも兼ねてらっしゃって。でもすごい長いこと、60年やられたっておっしゃってたんですけど、模型を作るために実物があるところに海外とかで行くと、カメラとメジャーを持っていって、自分で測ってそれをこういうかたちなんだって把握して、持って帰って日本で模型に作り上げていくんだって、おっしゃってたんですね。そのことって、だいぶ前から読んでいたりもしたんですね。むしろアニメーションとかを志す前、中学生ぐらいの頃から、こういう風なことをやってらっしゃる方がいるんだなっていうのは存じ上げてたんですね。そういうことで言うと、いつの間にか自分もそんなことをやってるんだなっていうのですね。僕らがやってるのは飛行機とかのサイズを測るんじゃなくて、道端のドブの幅を測って、周作さんとすずさんの二人入れるのかとか(笑)。
一同 (笑)。
片渕 そういうのを計ってたりするんですけど。でも気がついてみるとそういう風に世の中と(接していて)。メジャーで測れるリアルさでもって、世の中と相対してるんだなって、改めて思いますね。

 


吉田 地続きなリアリティっていうのは片渕さんが作っていて、そういう中で独自のキャラクターが動いてるから、みんなに生きているように伝わるんだろうなっていう風に感じたわけですね。その機械少年みたいなところが、アニメーションの中で飛行機が出てきたり、戦艦が出てきたりするようなところに反映してるし。義理の父親が書類を焼いて、第二次世界大戦終わったという風にけじめをつけるという職工のようなところにね。そういう片渕さんの男性的なサイドが現れてきてるような感じがしましたけど、その辺はいかがでしょうか。
片渕 そうですね。男の方からするとやってることに引け目を感じたほうがいいなと思ったんですよね。同じ8月15日に火を焚いてる人たちがいて、一人は戦争の後始末をする、戦うための兵器を作った図面とかを焼いてるわけですよね。すずさんと径子さんたちの方はそうじゃなくって、その日の晩御飯作るために火を焚いてんだなと思ったら、それはこうの(史代)さんの原作にはなかったんですけど、すごくすずさんたちのやってることが納得できて。そういうものがその先の日々につながっていて、今日の我々の晩御飯につながってるんだなと本当に思いましたから。それはある種の憧れみたいなことなのかもしれないなと思うんですね。こういう風であるべきなんだなっていう気持ちじゃないかなと。
吉田 火を燃やすっていうことで自分にけじめをつけるっていうこともあるし、家庭の主婦とすれば火を使って家庭を支えなくちゃいけないってことですから、そういう意味の日々の生活を営んでいく苦労さは描かれていましたけど、そのへんは演じていて、のんさんどんな感じがしたんでしょうか。
のん そうですね。ええと、私はいままで、戦争がまさに起こっていたときの日本のことを、なんか漠然と怖いなと思って、見ないように避けてたところがあったんですけど。今回すずさんを演じることになって。ちゃんと向き合わないといけないなっていう気になって。想像したり、監督からお話聞いたりして、イメージしたりしていたんですけど。すずさん達が生活していたり、ご飯作って、美味しいご飯食べたり、美味しくないご飯食べて、ハッてがっかりしたりとか。
一同 (笑)。
のん そういう生活を追っていくと、親近感がわいて、より自分のことに引きつけて考えられるようになったっていうか。怖いっていうことじゃなくて、この人たちも同じ人間なんだっていう。何て言うんですかね、共感することによって、生活っていうのを感じて、自分の中で、そのときに感じてることだったりとか、見てるものだったりとかリアルに浮き上がってくる気がして、それがちょっと自分の中で不思議な感覚でした。

 


吉田 すずさんが結婚して、家庭の中に入って、日常生活を送っていく中で。日々の生活は淡々と送っているけれども、自らあんまり笑うことは最初はなかったような感じがするんですけど、あの自分のやっている不始末で、周りから笑われるっていうことはあっても。自分からそれを笑っていくっていう余裕が、まずはなかったような気がしますけど、その辺は何か感じることはありましたか。
のん 私は、ぼーっとしているっていうよりも、すずさんはずっと考え事をしてて、想像の中でいろんなものを面白がったりとか、していたりするんだろうなっていう風に解釈していて。なので自分ではそんなにおかしいことしてる気がしてないのかなっていう風に思ってました。
吉田 それは一人で自分の中に閉じこもってるっていうニュアンスが、ちょっと強くなってきてしまうと思うんですけど。家族の中での立ち位置を満たすためには、やっぱり家族との交流がないといけないので、そのときには交流が出そうになってくるのが、哲さんが来たときに、その納屋の二階かなんかで怒りをちょっとぶつけるところがあのやっと感情が出てきてるような瞬間なのかなっていう風に理解したんですけどそのへんは自分の感情の流れの中ではどんな感じなんでしょうか。
のん そうですね。それまでは気を張ってて、北條家で主婦をやってくために勤めてたと思うんですけど、哲さんとこに行っておいでって言われて、中ばおうちを追い出されて。……それで幼馴染と一緒に、時間を過ごすっていう風になったときに、なんかもう始めからそのときには既にすずさんの中で、思っている感情だったり、それまで気を張ってた部分だったりとか。気が緩んでパンとはじけたのかなっていう風に思ってます。
片渕 そこはどういう気持ちなのか、もっと説明してくれって(のんさんが)言ってきてましたね。あそこを演じるときね。
のん そうですね。なんか私の中ですずさんがあのときに哲さんに対しては「私はこういう日を待ちよったかもしれん」って言うのが意外で。そういう、こと言うんだすずさんも、っていう風に思って。旦那さんが周作さんがいるけど、なんかちょっと心が揺れ動いてるようなこと言うんだっていうのが、悩んでしまって。それで監督に問い質したんだと思うんですけど(笑)。
一同 (笑)。
片渕 僕も原作のこうの史代さんに聞いてたので「昔はあの二人は同い年で同級生で。すずさんは5月生まれで、哲君はきっと早生まれだから。小学校低学年ぐらいの頃は、哲のほうががチビだったんじゃないか」って話とか聞いて。だから本当にふたりは幼馴染でね、兄弟っていうと弟みたいだった時期があって、それが大きくなったんで戸惑ったんだけど、やっぱりなんかそういうような頃のことが生きて、心の中にまだあるんだなとか。そういうような関係として、思ってみたらどうかって、言ってみたんですよね。
のん それがすごい助けになって、だからあんな風にリラックスして、一緒に過ごしたりとか膝枕とかも。一緒にお布団入ってぬくぬくしたりとか、なんか家族みたいに思ってるからなんだなっていうのは、すごい納得できました。

 


吉田 映画の中で二人の男性が出てきて、片方は幼馴染だけど、幼馴染が支えているのが日常が平凡でいいんだということを、その外から支えてくれるっていう男性が哲で。そういう存在があるので家庭の中ですずさんが安心していられた。外の空間を安定の空間として哲君が支えてくれてて、さらに家庭の中で安定させてくれる人物が周作さんだと、そういう役割分担があるんだと思うんですよね。だから最後のときに、哲君の存在はわかったけど声をかけない。なぜならば普通の生活の中にいるからだ、そういうことだと思うんですよね。だからあそこであんまり深い関係はありえないじゃないかなって私は思ったんですけど。平凡っていうか普通の生活という意味の存在としては、哲君がいるんだろうなっていう感じなんですよね。そのへんどうですか片渕さん。


片渕 多分そうなんだろうなと思うんですよね。(すずさんは哲さんを)そんなに意識しないで生きてきて、急に嫁に来てもらいたいという人がいると言われて、初めて気になったりしたんだろうなと思うんですね。でもその人が自分の今の結婚した後のことを認めてくれたことは、すずさんにとって凄く大きかったんじゃないかなと思いますね。すずさんはひょっとしたらそこで苦労してるかもしれないっていうのは、哲が気にしてくれていたこともすごく心の拠り所になったかもしれないけど。周作とこういう結婚生活をしている、はじめは相手のことも知らないでお嫁に来た、そこの家の生活のことをこんなに認めてくれているっていう。そういう哲が居て呉れたのが、その後の彼女の気持ちはもうすぐ大きく支えたんだろうなって気がしますね。だからこそ、そのあと、周作と思いきり口げんかとかもできるんだろうなって。あのおかげで周作と家族になったんじゃないかな。
吉田 多分それまでその対話する関係を作れていなかったんですよね。すずさんは、ひとり自分の心の中に閉じこもって、絵を描いて自分と対話はできているけれども、その外にいる人と対話して何か決断していくということが、あまりなかったけど。あの哲さんと出会ったことで自分の感情に気づいて、怒りに気づいて、それを表出していいんだという風に気づいたっていう、その非常に劇的な瞬間だったように思うので、そこは素晴らしく見事に演じていたなっていう風に。そう言える立場じゃないんですけど(笑)、感じました。素晴らしかったと思います。いちばん最後の方で号泣するシーンがありますけど、先ほど打ち合わせした時に聞いたら、なかなか泣けなかったんだそうです。泣けなかったのを泣けるように工夫したらしいので、その辺の工夫の話を片渕さんに聞いてみたいと思います。
片渕 ここにガラスじゃなくて壁があってですね、マイクがあって録音してる側とミキシングしてる側が別の部屋だったんですね。僕ともう一人ミキサーの小原(吉男)さんという人がいて、どうも小原さんが「涙声になってねえな」って言うんですよね(笑)。どうすれば良いのかな、と思ったら、涙が本当に鼻に詰まってくるってことが大事だから、そうしないと。台詞回しはすごくできてるんだけど、その台詞に最後足らないのは、そういう音としての鼻が詰まってると、そういうことなんだというのが分かるんですよ。でもどうしたらいいのって言ったら「簡単ですよ」って言って、他の人全部のんさんいるところから出しましょうって言って、のんちゃん一人にして。そしてその後、電気切りましょうって言って真っ暗にしちゃったんですよね。そして「しばらくしたら鼻に涙が入ってきますから」と。本当にそうだったんで。でもそれはさっきのんちゃんに聞いたら、それはそういう風になったことで、すごく集中できたって言ってたんだ。
のん なんか、泣くもんじゃないと思ってて。声だけで、技術で表現するもんなんだって思ってたんですよね。だからなんか本当に、集中して涙を出してやってたら、「そうじゃねえんだよ」って言われるのかなって思ってて(笑)。
一同 (笑)。
のん 実写じゃないんだからって馬鹿にされるって思い込んでいて。本当に、やってやるんだとそれで自覚しました。
片渕 それまではマイクの前で動いたりして怒られたりしてましたからね。「マイクの外に出てまーす」と言われたり(笑)。あのときはすずさんの身体の状況とのんちゃんの身体の状況が一致していくということが、すごく大事なんですね。


吉田 そこでひとつお聞きしたいんですが、なぜ泣いちゃダメだと思ってたんですか。
のん あ、その多分。あの動いたりとかもダメだったり、声だけの……、あの、何ですかね。テクニックで感情を出さないといけないなっていう風に勝手に思ってたんですね。
片渕 指向性の強いガンマイクでね、口元狙って録音してたんですよ。のんちゃんは、始めはマイクの前で結構色々動けると思って、最初のときはTシャツ着てジーパンで「動ける格好で来ましたー!」って言ってたんだけど(笑)、「あの動かないでくださーい」って言われてダメだったりして(笑)。のんちゃんは、声で芝居とかキャラ、人物を作り上げていくって、どういうことなのかって、すごく立ち向かいながらやってたというのがあってね。今言われてるのは終戦のところなんで、かなり後の方で録ってるんですよね。3回目ぐらいの録音の時でしたかね。スケジュールとしては4日なんですけど、一ヶ月ぐらいの間に、4日間使って録っててその3回目ぐらいのところで、ここでいちばんきっと、いろんなすずさんを演じることについて、いろんなものがのんちゃんの方で、のって来てるだろうから、いちばん充実してるところでそれを録ろうと思っていたんですね。で、その3日目のたぶんいちばん最後なんかだったんじゃないかな。3回目のあとには間隔、休みがあるから、ここでどんななっちゃってもいいやと思って、その3日目のいちばん早く録ることにしたんですよね。だからのんちゃんがそういう風にやってたんだなって、今わかったけど。やっぱりそういう風に気負って、頑張ってたってのがすごいよくわかりました。

のん ガチガチだったのは間違いないです(笑)。
片渕 ガチガチというか、色々自分でも挑戦しながら、ずっとすずさんのことを挑戦しながら。声で芝居することを挑戦しながらすずさんを演じてたっていうことなんですね。
吉田 すずさんは、前半でハゲができちゃいましたけど、のんさんはそういうことはなかったんですよね(笑)。
のん (笑)。それは、なかったですね。あそこのシーン、すごくおもしろかった。
吉田 でも今の片渕さんの作劇法にのってるわけだから、かなりのストレスのように見えますけど。
のん でも、本当に暗闇になると集中できたので、すごくいい状況を作ってくださってありがたかったです。
吉田 あの号泣も素晴らしいと思いましたけど、ただそこで言ってることが「米とか豆とかでできてるんだ私は」と叫ぶところなんですけど。なかなかそこが普通だと理解しにくいかなという風に思うので、そのへんの解説をちょっと片渕さんにしてもらえると。
片渕 そうですね。原作では我々の方も暴力を振るったから、暴力を振るわれても仕方がなかったんだっていうのをね、終戦の日になって気がつくっていうことだったんですけど。気がついてみると、すずさんは普通でいてくれって言われた哲の約束を破っていたことに、あのときに気がついてるはずなんですよね。彼女が何が自分の暴力とまでは言わないにしても、何をしてしまっていたのだろうっていうことに気がつく。何にだったら気がつけるだろうかなと思ったときに、彼女は毎日何やってたかなと思うと、毎日家事をやっていた。家事の中にもすでにそういう要素が入っていて。配給されてくるお米のうちの何十パーセントかは、国産ではない、海外の植民地化した地域から持ってきたところものだったりしたしたわけですよね。それからお米が足りないからもらってくる大豆なんかもそういうもので、中国のほうから持ってきたものだったりしてるわけですよね。そういう歴史的な事実があるなと思って、それをそういう風なら、すずさんが気がつけるかなと思って、そういう台詞にしてみたんですね。でもそう思うのと同時に、そういう歴史的な経緯があったってことを映画観た方が気がついていって頂いて、そういうことも歴史的にはあったんだなっていうことなんかを、新しくご自身の中に蓄えていって頂けるとよいかなという気持ちもありましたね。
吉田 片渕監督の解説を深く心に刻まないといけないと思うんですが、我々のごく日常的にやってる振る舞いも、他の人に大きな影響を与えてあるかもしれないっていうことだと思うんですよね。そういうその影響関係っていうのは戦前戦中戦後にかけてずっと繋がっているというメッセージ。
声高に言うメッセージではないですけど、ごく日常の中で色々な繋がりがあるのだっていうことはやっぱり意識しなくてはいけないっていう風に言ってるように聞こえるんですね。それを支えてるのが、呉という街を完全に再現してしまって、具体的な空間の中に架空のすずさんというキャラクターを置いて、そこに生活させた。その生活感に我々がリアリティを感じて感動するんだと思うんですよね。そこが、そこまで作り上げたっていう監督の執念がすごいなっていう風に思います。それはやっぱり世界に例を見ないような作り方をしてたんだろうなと、私は思うので。ここにいる人たちもそういう意味では見ることに肥えてると思うので、それを世界に発信していってもらえるといいのかなって思ったりします。発信していくという作業がメディア芸術祭の一つも仕事でもあると思うので。観た人たちもためらわずにそういう発信していってもらえると嬉しいなと個人的には思います。歴史が繋がっているというような作り方が最後にあると思うんですがその辺は、のんさんとしてはどうなんでしょうか。今の現代人から見て、あの時代と今が繋がってるという実感は作品を通して得られているんでしょうかね。
のん そうですね。すずさんという人が、作品の中にいて、もしかしたら今も生きてるかもしれないっていう風に思える、というか。なんか、あの時代を生きた人がいるんだっていうのが、感じられて。その、時代があって、今があるってのは、この映画で本当に実感が湧いてきた感じはしますね。本当に今まであんまりそういうものでなかった、目を背けていた部分があったので。すごく、今回の作品でリアルに感じました。
吉田 どうもありがとうございます。片渕さんどうでしょうか。
片渕 あちこちで言ってることなんですけどね。広島で上映した時にその後お客さんで若い女性の方から、すずさんの喋り方がうちのおばあちゃんとそっくりでした。でもおばあちゃんの喋り方なんだけども、若い娘さんの声だった。それがうちのおばあちゃんにも若い頃があったんだって、あんな娘時代があったんだって、すごくよくわかりました。その瞬間のんちゃんの広島弁がどれぐらいきちんとしていたか、僕もよく分かりましたしね(笑)。僕、広島出身じゃないから本当にどれぐらい広島県が再現できてたかって、自分ではわかんないところもあったし。
のん ちょっと、昔の広島弁だったんですよね。
片渕 そうそう。のんちゃんも、そうは言われても分からない所がありながら、僕らは手探りでやってたんですけど。方言指導の栩野(幸知)さんとかがそこは一生懸命教えてくださってたんだけど。でもそこが達成できてたんだなと思うのと同時にね、のんちゃんの声の芝居を通じて、その方のおばあさんが本当に若かった頃から、今に時間が繋がったんだなっていうのがね、それが演技の力なんだなと思うとすごく感慨深かったんです。そのあとLINEか何かですぐ連絡はしたんですが(笑)。
のん 嬉しかったですね。
吉田 そういう風に世界に繋がっていってもらえると、この映画もすごく意味があることになると思います。どんどん広めていっていただければと思います。時間的にはこのぐらいだと思うので、最後になにか一言あれば、のんさんどうですか。
のん これから、長いバージョンも長尺バージョンも作られていくので、もっともっといろんな方々に観ていただけるチャンスかなと思ってます。今回の映画は見てくださっている方も、すごく強い気持ちで応援してくださるので、制作者の一員かなと勝手に思ってるので、ぜひ一緒に広めてください! よろしくお願いします。
吉田 監督からも。
片渕 長くするのは今一生懸命頑張ってます(笑)。それはそれで自分達として頑張らなきゃいけないところなんですけど、と同時にもう公開からほとんど600日近くずっとずっとたくさんの映画館で上映してくださってて。しかも今度7月から8月にかけては、たくさんのいろんな地方のいろんな映画館で上映されることになってくんですね。広島県内だけで4館以上なんですね。またそんな風にして『この世界の片隅に』がこの夏になったら、たくさんの方々のところに、行きたい。
映画のほうが行きたい。映画館の方々はその事を助けてくださるっていうことがやってまいります。今日ひょっとして初めてご覧になった方いらっしゃいます? (手が挙がる)いらっしゃいますね。そうです、だからそういう方がもっとこれからたくさん増えていくチャンスがこの先にありますのでどうかよろしくお願いします。それが我々にとっては嬉しいことですし、それと同時にやっぱりそれがあの映画っていうものは、そうやって映画館で支えられて、もう出来上がってる映画っていうのはまだまだ頑張っていけることになると思いますので、是非よろしくお願いします。7月から8月にかけて、僕らもちょっと色々頑張ったりすると思います。どっかに出没するかもしれません(笑)。またよろしくお願いします。
一同 拍手

 

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NHKラジオすっぴん!「片渕須直インタビュー(聞き手高橋源一郎)」(2018年3月9日放送)

この記事は2018年3月9日放送の「NHKラジオすっぴん!『片渕須直インタビュー(聞き手高橋源一郎)』」の文字おこしです。

 

・ラジオの音声を文章化したもので文責は私「an-shida」です。

・読みやすいように語順の調整などをしています。また言い間違いだと私が判断したものについては注釈なしで直している箇所があります。

・大変長いので小見出しを私がつけています(ラジオ放送時にはなし)。

・公式の指示があったときは速やかに公開を停止します。

・もし公式の要請があれば本おこしを提供いたします。

 

 

本編

片渕監督のプロフィールと映画『この世界の片隅に』ができるまで 

高橋 すっぴん!スピンオフ「震災特集 物語の力」。高橋源一郎と。
藤井 アンカーの藤井彩子でお送りしています。ここからは特別企画スペシャル対談です。先日アニメーション映画監督の片渕須直さんをお迎えして収録しました。

 

 

高橋 スタジオには僕とゲストの二人だけ。目の前にはアニメーション映画監督の片渕須直さんをお招きしております。こんにちは。
片渕 あ、どうもこんにちは。よろしくお願いします。
高橋 ではざっくりと! 片渕さんのプロフィールをご紹介します。片渕監督は1960年生まれ、ということは僕より10歳年下なんですね。日大芸術学部映画学科でアニメーションを専攻して宮崎駿監督高畑勲監督と出会い作品に参加。映画としては『アリーテ姫』、『マイマイ新子と千年の魔法』。それぞれ2001年と2009年ですね。この二本も本当に素晴らしい作品なので……。
片渕 ありがとうございます(笑)。
高橋 その話もあとでじっくりお聞きしますけれど。なんといっても今回特に取り上げようと思う『この世界の片隅に』。公開は2016年の11月。
片渕 11月12日なんです。
高橋 それから1年4か月ぐらい。
片渕 足かけで言うと3年目になってしまうんですね。
高橋 興行収入は26億円突破、観客動員数200万人を超えましたということで。
片渕 まだ上映やってるんです。
高橋 そうなんですよねえ!
片渕 ずうっと一日も休まないで全国どこかの映画館で上映続けて頂いていますので。
高橋 ちょっとまだ『この世界の片隅に』を観ていない方も聞いていらっしゃる可能性があるので、ちょっとだけ『この世界の片隅に』の説明を致します。『この世界の片隅に』はこうの史代さんのマンガを原作としたアニメーション映画です。
(♪「悲しくてやりきれない」映画サントラ版流れる)

舞台は昭和19年、20年の広島県呉市が大体中心となってます。主人公は浦野すず。結婚して北条すずさんになりますが。嫁いでその呉市で日常生活を送ります。その中で空襲に出遭ったりして段々戦禍がひどくなり、そして運命の原爆が落ちる日になるんです。呉市に落ちたわけじゃないんですが、広島にはすずさんの実家があって被害がありますね。その結果すずさんたちを含む日本人が、どんな風な事件に遭遇し、何を感じどうなっていたかを描いたアニメーションで、すずさんの声を女優の、のんさんが演じたことでも話題となりました。間違ってません?(笑)
片渕 大丈夫です、ありがとうございます(笑)。
高橋 僕『この世界の片隅に』はですね、映画館で3回観て。ブルーレイ買って今回観て。2回は子供連れて。当時小学生で。大丈夫かと思ったんだけど、「どうだった?」と訊くとね、普通は「面白かった」って言うんですけど「よかった」と(笑)。
片渕 ああ。
高橋 実は噂なんですけども、新しいバージョンの『この世界の片隅に』を作っているという噂があるんでございますが。
片渕 あ! はい。
高橋 本当なんですね。
片渕 脚本を作って絵コンテを作って、2時間の映画にするっていう約束だったんですけど。本当はね、4時間ぐらいあるといいなと思ってたんです。4時間ぐらいあると、あの原作を隅々まで全部収められるんだけど。2時間にしなければいけないなと思って頑張ってやってできあがったら、でも2時間を20分ぐらい超えてたんですよ。
高橋 はいはいはい。
片渕 で、普通だったらそれで作っちゃって編集したりとかするんですけど、それだったらいっそのこと最初から短くしてしまおうと。短くしてしまって、でもその短くした分の中に関しては、なんかチョキチョキってちょっとずつつまんだりしないで。見せたいもの全部見せるっていう風にして。でもひょっとしたらこれはその主人公のすずさんの人となりにとってすごく大事な場面になるかもしれないエピソードがあって。これはあえて入れないようにしようと思ったのに。
高橋 あの……これは言えないですよね。
片渕 マンガ読んでる方には少し心当たりがあると思うんです。でもそれを入れないとですね、マンガ読んでらっしゃる方は「なんであれが入ってないのかな」って思われるかもしれないです。だから僕らもその部分を抜いたから、関わりがあるちょっとしたものがまだ残ってるわけですね。「あれ、なんであんな風になってるんだろうな」とかって思われるお客さんもいるんですけど。それがなんでだったのかっていうのは、しまいこんじゃったんです。でもいつかはそれを「やっぱりそこまで見たいよ」って言ってもらえるんじゃないのかなっていうのが自分たちの…なんていうか「願い」だったんですよね。それをしまいこんだんだけどそこが見たいっていう人が現れてくれたらいいなと思ったんです。
高橋 原作があって。あのこうのさんの原作が、複雑な様々なものを持ってるんで。これは当時の日本の国内で普通の人たちが戦争をどう迎えたか。
片渕 はい。
高橋 それは単純ではなかった。
片渕 そうですね。
高橋 きれいごとではなく生きなきゃいけなかったっていうのをこうのさんが描いてるんでそれに忠実にやろうとすると4時間版にもなるかもしれないし。だからカットするっていうのも、実はアニメーションの作り手の仕事なんですよね。
片渕 そうですね。でも、僕は…何て言うんですかね。僕だけじゃないと思うんですよね。こうのさんの描かれたものを読むと、それはすずさんという人の人生をそのまま一部分切り取ってきたものみたいだったんです。面白いとか面白くないとかって言う前に、この人こういう風に生きてるんだから仕方ないじゃないかっていうことなんですよね。でもそうだとするならば、そこの一部分がなくなっちゃってても、あるいはそのことが今伏せてあってもすずさんはすずさんとして存在してるんだし、と思って。でもそのすずさんはすごく、健気だしね、魅力的だったんですけどね。でもそういうすずさんにも、もっといろんな想いがあったんだよということも、またいつかちょっ届くと良いなと思っています。
高橋 ということはその大きい枝のひとつが戻ってくる可能性があると。
片渕 そうなんです。で、それをね、短くしなければやっぱり駄目かなとかっていうのプロデューサーと相談したんですよ。誰かがそれを見たいって言ったら、あるいはこの映画がちゃんとお客さんに受け入れられた上で、誰かが見たいって言ってくれたらいつか復活したいって思うかもしれないですから、その時にむげに否定しないでねっていう話を最初にした。可能性としてはちゃんととっといてくださいねって、初めに言って短くしたあのかたちで作ったんですね。できあがったらお客さんがちゃんと来てくださって。長いのも作らせてねってプロデューサーに言おうとしたら、プロデューサーが先にどっかで「これから長いの作りますから!」(笑)。
高橋 (笑)。僕ね、思ったんですけど、そこに何か観客への信頼みたいなのがある気がするんですね。映画、アニメですけども、ただ単に作品を作って「さあ売るぞ」じゃなくて。さっき監督仰いましたけど『マイマイ新子』があり、あるいは『アリーテ姫』がありね。それはただ作って「楽しんだ? おしまい」じゃなくて。それを観た僕もそうなんですけどもあの片渕さんのアニメって観ると何かに参加してる感じがするんですよね、何かに。
片渕 ああ、やっぱり……そうか。自分で完成させないってことはそういうことかもしれないですよ。皆さんの、観た方の心の中でできあがるんだなって思いました。
高橋 なので今回のも、どうしてもやっぱりこれもっともっと僕ら続き見られるよねって言ったら監督が応えてくれると、観客が信頼している。そういう信頼関係を作っちゃったのがいちばんのすごいことじゃないかなと思いました。
片渕 ああ。はい。

 

アリーテ姫』と『この世界の片隅に』の関係


高橋 ここからは特に僕が片渕監督に訊きたいことがいくつか出てまいりますのでよろしくお願いします。
片渕 はい(笑)。なんでしょう。
高橋 えーとですね、あの最初にご紹介した時に『アリーテ姫』と『マイマイ新子と千年の魔法』という二本のアニメ映画が片渕監督の名義での正式に言うと第一作であり。もちろん他にもあるんですけれども、片渕監督の今回の『この世界の片隅に』を入れて3本。今回ちょうどいい機会だというので、実は『アリーテ姫』も『マイマイ新子』もちゃんと観てたんですが。今回で1日で3本立て続けに観るというのやってみて、「あ、何かわかった!」ような気がしたんで、ちょっと質問をしたいなと。『アリーテ姫』をご覧になっていない方もいると思うので、説明しますと舞台は中世ですね。
片渕 中世のヨーロッパですね。
(♪『アリーテ姫』より「クラスノ・ソンツェ」流れる)
高橋 ある国のお城にお姫様が幽閉されてるというか、結婚するまでは外に出さない。これがアリーテ姫で、お父様が艱難辛苦、宝物を集めてこいという風に。
片渕 かぐや姫みたいなお話ですね。
高橋 それで集めて来て、その中から結婚の相手を見つけようとしたら、魔法使いが出てきて、彼が最高の魔法の道具を持っているので、結局そのお姫様を連れていってしまう。
で、自分の城に閉じ込めてしまう。彼女はそのまま逃げられなくなってしまうんですがそこからアリーテ姫が抜け出していくという、アリーテ姫の成長の話でもあるんですが、このお話は原作があるんですか?
片渕 一応あります。大分変えちゃったんですがあるんです。賢いお姫様が白馬の王子を待たないで自分で自分の場所を見つけていくっていう、「アリーテ姫の冒険」っていう本があるんですね。
高橋 この話を作ろうと思ったきっかけとかあったんでしょうか。
片渕 それは本当にわりと早い時期、21歳ぐらいからアニメーションの仕事に携わり出して。しかも最初から脚本書いたりとかね。仕事も真ん中のところでやらしていただいてたんですけど、でも自分が真ん中近くに入った仕事ってどうも全うされないことが多かったんです。『名探偵ホームズ』も自分たちがやってたら中断になっちゃって、本当は自分たちのスタッフで26本作るはずだったんですけど何本も作れなかったんですね。で、しばらくしたらまた再開になってときは僕らは別の仕事に回ってたんで、他の班で完成させるって事になって。その時も回ってた別の仕事もそれはアメリカとの合作の映画だったんですけども、僕らの関わってる中では完成できなかったんです。
高橋 片渕さんが関わると完成できないというジンクス?(笑)
片渕 いや本当にそう言われると今でも胸が痛むんですが。
高橋 ああすいません!
片渕 ものすごくね…何でなんですかね?
高橋 それは何でなんですかね?
片渕 いやあわからないです。わりと正面きって通る企画、簡単に完成させられる企画、つまり今世の中こうだからねっていうのに乗っかったんじゃないものにばっかり関わったからかもしれないですね。
高橋 とするとなかなか実現しにくいっていうことですね。
片渕 そうなんですね。そういうようなことが本当にそれがずっと続いたもんですから。その自分の力で自分の道を見つけていく主人公っていうのを見たくなったんですよね。
高橋 それってもしかすると片渕さんですね。
片渕 だから僕じゃないところで最初見たかった。
高橋 あーなるほど。
片渕 そういうものが居てくれるといいなと思って。で、原作読んでみたんですけど。いやひょっとしたらもっとなんだろうな、原作の主人公の救われ方よりももっと深いところでやらないと、僕は自分が救われないような気がしたんですよ。それでその時からね、自分は「何でもの作ってるんだろう」とか「何で諦めないようにしようとしてるんだろう」とかっていうことを色々もの作りながら考えて…。『アリーテ姫』ってね8年ぐらいかかったですよ。画を描いたりとかは2年ぐらいでやってるんですけど。それまでの6年間ぐらいの間に……。
高橋 何に時間かかったんです?
片渕 お金を集めるには時間がかかるんですけど、その間ずうっとアリーテ姫っていうものがどこに陥ってて、何を根拠にして自分を救おうと思うのかなっていうことを、見つけ出すまでにそんなに時間がかかった感じがしますね。
高橋 『アリーテ姫』って彼女が言っているのかな。一人一人の中に物語が生きている、在るっていうことと。
片渕 そうですそうです。
高橋 最後にアリーテ姫の結論って人々の間で生きることにして、街の中に、みんなの中に入ってくんですよね。あれが片渕さんのその時点の結論だったって感じですか。
片渕 だから彼女が英雄になって終わるとかねそういう(のとは違って)。抜きん出た人じゃないところにね、いる。自分もそうなんだろうなと思うわけですよね。だからそういう彼女であってほしいなと思う。でも僕だけじゃないですね、あのたくさんいる人たち一人一人の中にはそのアリーテ姫と同じようなものがみんなに備わってるんだよってそれも信じたかったんですね。
高橋 その答えを見つけたきっかけが「タイタニック」だっていう話が漏れ伝わってるんですが、それは本当なんですか。
片渕 ちょうどに『アリーテ姫』作ってる時に、ジェームス・キャメロン監督の「タイタニック」がロングラン上映でやってたんですよ。なんかね、やっぱりあれを観て泣く人もたくさんいてね。
高橋 片渕監督は。
片渕 自分も泣いちゃったところがあったんですね。すごく心に残ったところがあって。あのお話の主人公たち、あのカップルは実在の人ではないんですよね。
高橋 ああ。
片渕 フィクションですよね。フィクションのヒロインがどういう風に救われてくかっていうのは、それはある種のめざましい感じがちゃんとしたんですけども、その背景にある…。あの船が沈んでね、大人も乗ってるし、普通の子供達も乗ってるような船が沈んでいったときの、そこでの人々の最後を迎える姿勢とか、そういうのを見てた時に、いたたまれなくなっちゃったんですね。自分はこのタイタニックっていう物語にやられたのか、その背景にある現実にやられたのかよくわからなくなって。現実にやられたんだとしたら、こういう物語の作り方って……。自分は今まで物語を皆さんにつきつけることで何かを訴えようとしてたから、こういう現実を後ろにちらつかせるのって、なんか卑怯じゃないかなと思っちゃったんですよ(笑)。
高橋 (笑)。(現実の事件があるのにその上に架空のお話を)作らなくてもいいじゃんってね。
片渕 そういうことで言うなら、そこのそういうたくさんの人たちがいて、たまたまその人達を代表させるために、本来存在しない、歴史的には存在しなかったはずの主人公たちを、ある種の象徴としてそこに浮かび上がらせてるんだなって思ったときに。僕はなんかそういう、自分の中だけで完結しない物語ってのがすごく意味があるんじゃないかなと思ったんですね。ファンタジーってどうしてもね自分の中だけで…、自分の中にどんなものがあって、それを繰り広げられるかっていう作業に陥りがちだったんですけどね。そうじゃなくてもっと世界って広くてそこにたくさん人が居て、自分と同じでそういうこういう状況に陥っちゃったんだ。その時どうなんだろうっていうのがね、眺めてみたくなったんですよね。
高橋 でもわかりますよね。僕も物語作るんで、「作り出そう!」と思ってるけど、そういうときに謙虚さ欠けてきますよね。現実に生きてる人たちの物語があるのに「それよりすごい物語を作るぞ」っていう。
片渕 それもありますね。あと引き出しが自分の中だけにしかないとね、できあがったものがねえ、なんですかね、下手くそな自画像みたいになるじゃないですか(笑)。
高橋 そうなんだよねえ。
片渕 もう二度と見たくないや、恥ずかしいやとか、ガマの油みたいとか思っちゃうんですけど(笑)。
高橋 その人の顔つきのものばっかりになってるとねちょっと寂しい気がしますよね。
片渕 そういうのじゃないものが見いだせるとよいなと思って。そういう意味で言うと『アリーテ姫』なんかも「なんでいつも女の人主人公なんですか」とか言われるんですけど。アニメーション作ってると周りに女性のアニメーターたちがいるわけですよ。たまにうちの奥さんのこと言ってんじゃないかと言われるんですけど、そうじゃなかったんですよそのときは。他の人たちも一生懸命黙々とやっててね、お化粧もあんまりしないんですよ。でもその人たちが描いた画、動かした動きが世界をちゃんと物語っている。みんなの中にはこういうものがあるんだな、口で喋んないだけなんだなと。
高橋 そうですね。実はみんな物語を持ってるわけですよね。
片渕 そういうものとしてアリーテ姫を。
高橋 なるほどね。

 

スタジオから~短い振り返り

 

藤井 今日のこの時間は、高橋源一郎さんとアニメーション映画監督の片渕須直さんの対談をお届けしています。
高橋 『アリーテ姫』という『この世界の片隅に』に比べれば知られていないんですけど、本当に素晴らしい作品なんです。個人的にアニメ監督片渕須直がどういう人でどういう想いで作ってるんだろうというのがずっと聞きたかったので、最早僕の個人的興味で訊いているところもあります。でもね、片渕さん、もしかすると(この放送では)省かれているのかもしれませんが、ものすごく舞台挨拶をされてるんですよね。もう足掛け三年間ずっと公開されていて実は足かけ三年間ずうっと映画館に立って観客の皆さんに話しかけている。
藤井 『この世界の片隅に』がずっと上映し続けられているからですよね。。
高橋 もちろん制作、作った側だからそういうこともするんですけれども、その姿勢ですね。「あの、どうしてですか」って訊いたら、そういうコミュニケーションをとることが大事。どんな小さい映画館、どんな地方の映画館にも行ってお話をする。これが片渕さんの作り方そのものなんですよね。「大きな映画館でたくさん観て下さいよー」じゃなくて、どんなところにも自分から行ってですね、たった一人でも行って、こういうものを作りましたって言って「差し出す」。だから「差し出す手」ですよね。
藤井 片渕さん『アリーテ姫』でまさに象徴されましたけど、ご自身の物語が載っているんですよね。高橋 そうそうそう。普通は自分の物語って言うと「作り手が自分の話してるよ」となるんだけど、そうならなくて。(観客の)自分の中にある切実な何かが見えてくる、ですね。
藤井 そこが魅力なのかもしれないですね。後半は10時33分頃からお届けします。ここで一曲映画『この世界の片隅に』オリジナルサウンドトラックから「new day」。
(♪ 映画『この世界の片隅に』サントラより「new day」流れる)

 

スタジオから~後半の導入

 

高橋 すっぴん!スピンオフ「震災特集 物語の力」。パーソナリティの高橋源一郎と。
藤井 アンカーの藤井彩子でお届けしています。この時間は特別企画スペシャル対談をお届けしています。先日、アニメーション映画監督の片渕須直さんをお招きしました。前半では『アリーテ姫』について主にうかがいましたが。
高橋 うん。
藤井 ここからは2009年に公開の『マイマイ新子と千年の魔法』、2016年公開の『この世界の片隅に』。この制作からお話をうかがっています。
高橋 長編作品三本をあらためて観たことで僕にとっての片渕監督への想いが見えてきたように思います。では後半をどうぞ。

 

マイマイ新子と千年の魔法』~想像力と戦争


高橋 次作った『マイマイ新子と千年の魔法』がまた全然違うと言えば違う。舞台は昭和30年ですね、山口県の田舎です。主人公の新子が田舎の小学三年生ですね。そこが千年の都、街の跡だったので、いつも千年前、平安時代ですね。その街や人について空想するのが大好きで。そこに東京から同じ学年の転校生の貴伊子ちゃんっていう。お父さんがお医者さんですね。上品な子がやってきて、全然性格が違うはずなのに二人は仲良くなってくって話なんですけども、『アリーテ姫』とはえらい違いで。どっちかっていうと、貴伊子ちゃんが『アリーテ姫』ですかね。
片渕 「新子ちゃんが言ってることがわからない」って貴伊子が言い出すんですけどね。最後に彼女はわかってくれるといいなと思ってたんですね。原作は高樹のぶ子さんの小説の「マイマイ新子」ですよね。「千年の魔法」という言葉はその小説の中にあったんです。
高橋 あ、そうなんだ。
片渕 あったんですけど実は『アリーテ姫』の中に自分で作ったセリフの中にもあったんです。
高橋 千年の魔法が!?
片渕 千年の魔法が。
高橋 すごいですね。予言してた。
片渕 でもその使い方も同じだったんですね。「想像力っていうものは千年の時をすら飛び越える力を持っていてそれがあなたの中にもあるんだよ」。
高橋 ある意味吸い寄せられるように。
片渕 それとね、平安時代の国の都があったというのは周防の国府なんですよね。
高橋 はい、周防国ですね。
片渕 そうなんですねその千年ぐらい前に防府周防国に誰がいたのかなって思ったら小学校3年生ぐらいの年齢の清少納言がいたんですよ。逆にこれ原作になかったんですけど。
高橋 あ、そうなんですか!
片渕 それが分かって自分たちで千年前って描きたいなと思って誰が居たのかなって名前を調べてたら唯一出てきたのが清少納言。しかも僕らがロケハンで現地に行った時にたまたまその住んでた家を発掘調査してたんです。
高橋 ある意味千年前から片渕監督が来るのを待ってましたってわけですね。
片渕 その時だけ発掘調査で土が退けられていて柱の穴とかも見られたんです。今はね、また保存のためにそれを埋め戻して田んぼに戻ってるんです。その瞬間だけをを見てたんです。
高橋 すごいねえ。
片渕 これが千年の魔法かなと思った。
高橋 それ自体がね。
片渕 でもそれ見てもそこで馳せる心がないと意味がないかなと。
高橋 三本続けて観て気づいたことがあって。実は『アリーテ姫』と『マイマイ新子』っていうのは同じ構造してるんじゃないのかっていうこと。まず両方ともかけがえのない過去があるんです。『アリーテ姫』の場合だと、舞台となった中世の前に、科学と魔法に生きた魔法使いの素晴らしい時代が。そっからいわば堕落してですね、魔法も使えなくなった魔法使い出てきますよね。素晴らしい魔法という科学があった時代があって。その象徴で飛行機が飛んでるじゃないですか。今はそうじゃなくなってそこで生きてる人たちがいるっていう前提ですよね。『マイマイ新子』も千年前に素晴らしい時代があって、それとは別にそれを知らないで今の人たちが生きている。だから素晴らしい過去がある。今を生きている人がいる。それをどうやって知ったらいいのかっていう話だと思うんですよ。そしたら『この世界の片隅に』って一致させちゃったんですよね。
片渕 ああ、はいはい。
高橋 これ主人公すずさんの昭和8年から昭和20年までの物語ですね。ある意味かけがえのないというか取り戻すことができない過去で。今までだったらそういう過去があって、それに対して今を生きてる僕たちがいて、その過去をどうやって知るかっていう話ですけど。あの映画ではかけがえのない過去の中に、今を生きている人がいるっていう風になって。ついにこの二つのラインが統合されたっていう風に感じがしたんですけど、監督いかがでしょう。
片渕 特に『アリーテ姫』はそうなのかもしれないんですけど何ですかね。ものづくりをする自分にとって、自分たちの大先輩がいてね、その人たちの作ったものに憧れてそういうものづくりの世界に入ってくるわけじゃないですか。自分が作るものはこれぐらいなのかなと思っちゃうわけなんですよね。まあ燦然と輝いてる過去の栄光みたいなものをそこに見てしまうんだけど。じゃあ自分はそこに加われないからといって、自分のやってることに意味がないって言いたくないなっていうことなんです。だから『アリーテ姫』も『マイマイ新子』の新子ちゃんも、その過去の燦然としたあの時代のことを思い浮かべるんだけど、でも彼女たちは「自分たちの時代をちゃんと生きようと思う」と思うんですよ。実は『この世界の片隅に』もね、そういう意味でいうと戦争始まる前の時代が描かれていて。
高橋 そうですね。
片渕 戦争中にもそういうことを、時々アイスクリームの話題をしたりする女の子達が出てくるわけですよ。
高橋 (ここでは「今よりもよい、昔の時代」である)戦争中にもさらにいい時代があったわけですよね。
片渕 そうそう、そうそう。で、アイスクリームあったよねとか甘かったよねって言いながら生きてるわけじゃないですか。でもね、それと同時に色んな物語とかもつくる想像力も心の中に持ってて。戦争ってその程度の想像力じゃ打ち勝てないんだなと思ったんです。それがね『この世界の片隅に』では自分の中では、今までのやってきたこととちょっと変化だなと思ってるんですよ。想像力大事なんだよ、それがあるからこそみんなかけがえないんだよって言ってきたんだけど、(戦争の前では)想像力を持ってたって駄目だったじゃないかっていうのがね。あの戦争のなかの普通の人の、普通じゃない人もみんなそうだったんですよね。本当に絵描きの才能があったりとか、作家になれたかもしれない人たちがたくさん死んでしまったわけですよね。無力なんじゃないのかなと。でも無力だから自分たちには意味が無いと思いたくない。というのが『この世界の片隅に』ですね。
高橋 本当に素敵なシーンが多いんですけれども、僕大好きなのはあの8月15日玉音放送を聞いてですね、すずさんが裏山に登ってですね、泣くシーンがあります。
(♪ 映画『この世界の片隅に』サントラより「飛び去る正義」流れる)
高橋 あそこはもちろん国が負けたということもあるんですけど、もっとなんか負けたと。負けちゃったじゃないかと、それを国のせいとかにする人は平気だけど、大丈夫かもしれないけど。すずさんは誰かのせいにしてるわけじゃないですよね。つまり何かがなくて何か足りなくて力が弱くて負けちゃったんだと。負けて悔しいっていうのが凄まじい悲しみの中に出てきてね。あれはやっぱりものすごい力強さが、簡単に言えば想像力がなかったんだ、ダメだったんだということをちょっと言うわけですね。逆にじゃあお前はどうやってと、こちらに突き刺さるような感じがしましたね。
片渕 あの場面って受け取り方がいっぱいあって。自分が最初からそう考えたんじゃない受け止め方をする方が出てくると、それが自分にとってもためになったりとかするんですけどね。どなただったかが、それまでのすずさんたちは戦争っていうものを台風とかと同じ自然現象みたいなもんだと思ってた。だから抗えないしどうしようもないんだ、その中で平然とした顔で生きるんだと思ってたんだけど。あの日の終戦のラジオを聴いて、人間がやってたのかと。
高橋 初めて気づくんですよね。
片渕 それがあの戦争負けたことよりも、それが悔しかったんじゃないかっていう方がいらっしゃってね。それはすごいよくわかりますね。

 

源さんのお母様のこと、ドキュメンタリーとの関係、海外の反応など


高橋 あと個人的に言うとですね。僕の母親がすずさんと歳がひとつ違いです。広島県尾道市生まれですね。呉の海軍工廠で働いていて、という風に聞いてたんで。実はもうひとつあの8月6日、原爆投下日に朝、尾道駅から広島に向かう電車切符が取れなくて乗り逃したらその電車が実は朝、広島に着いて被爆したっていうんで。僕はずっとちっちゃい頃から「切符があと二枚あったらお前は生まれてない」と、ずっと言われて育ったので。映画を観た後、初めて呉に行ったんです。ここだったんだって思いながら。色々調べてみてね、母親が書いた自伝があったんですね。
片渕 そんなのがあったんですね。
高橋 これがね……。実は映画観て初めて読んだ(笑)。『この世界の片隅に』がなければ、母親の自伝読まなかった。手書きです、全部万年筆で書いた。読んだら、「呉の海軍工廠」が間違いだった(笑)。広島市の陸軍兵器補給廠、あっちの方に行ってたんですね。だから実はあっちは若干被害があって。山の向こう側にあるんですが2キロぐらいしか離れてないんです。もし電車に乗ってたら駅に着いて降りて補給廠に歩いてる途中でちょうど爆発ぐらいだったんですね。だから事実が分かったのもちろん良かったんですけど実はそうやって自分の母親について。僕は監督より10歳上ですから、ジェネレーションとしてもっと戦中派の人の話を聞いてた。僕は作家ですから、そういうことも書いたりしてるのに、実はそういう放っておいたのを。ほんとに僕は監督に感謝しなきゃいけない。初めて(母が戦争について)書いたのを読んで、行って。やっと母親のことがわかってきた。この映画のすごいところは、そういう風に人を動かすところかな。過去っていうのは消えてなくなると思ってたんですけど、過去っていうのがこんな風に存在し得るとしたら。
片渕 映画の中の呉駅から汽車に乗ってちょっと行ったら源一郎さんのお母さんがいらっしゃる。
高橋 そう! (映画の世界の)どっかにうちの母親いるよねっていう風に思ってしまうんですよね。でも実はそういう人は僕の母親だけじゃなくて。
片渕 実はね、映画館に行って舞台挨拶とかするじゃないですか。舞台挨拶するだけだと僕からの一方通行なんですけど、その後にサイン会と称して(笑)。でもそれやるとお客さんと話ができるんですよ。ひょっとしたら一万人を超えてるお客さんとお話できたんですけどどこで上映やっても必ず「おじいさんが呉工廠で働いてたんですよ」っていう方がいらっしゃって。「あそこに居た軍艦に乗ってたんですよ」という方もいらっしゃって、あるいは「おばあさんがそうだったんですよ」と。どっかで必ず自分と関わりがあるものなんだなと思って観てくださるからそういう風に言ってくださるんだと思うんですよね。その方たちは(映画を)見て、自分がいた時代なんだ、中には本当にすずさんと同い年の方がいらっしゃって。映画館に来られて「私の自己証明はこの中にあります」とおっしゃった方がいらっしゃったんです。多分ね、僕は自分たちで受け止めたいと思って描いて、できるだけ本当にあったように受け止めたいなと思ったんですけどね。その結果できあがったものがその当時を実際に知ってる方にとってみても「本当にああいうものだったんだよ」と、その方たちが言ってくださったことなんですよね。そのことによって「ああ、そうだったんだ」。僕らは今まで想像力とか色々調べたとかで描いてたんだけど、本当にああだったんだ。あんな空気だったのよって言われてやっとわかったって。自分でもやっと分かりましたっていうところがありましたよ
高橋 あの『この世界の片隅に』も含めて、作られてきたのはアニメじゃないですか。アニメは実在の人物が出てくるわけでもないし、そもそもドキュメンタリーでもないし、現実から遠いもののはず、ですよね。本当に作り物の極致だと思うんですよ。でも同時にアニメ、アニメイトっていうのは生きさせると言うか、生命を与えるっていうことがあってですね。じゃあドキュメンタリーでもいいじゃないと。でもドキュメンタリーで見ても(この映画のようには)感心しないと思うんですよね。
片渕 多分あんな風に描けないだろうなと。僕らは画で描くから、今の風景を描こうと当時の風景を描こうと一枚画を描くことには同じだろうと思うんですね。それをこういうものがあったと調べるリサーチの力は別として、画を描くことに関しては同じで、同じようなリアリティ持たせられるんだとするならば、アニメーションだからこれできるのかなってのが本当に作ってる時に思いました。
高橋 画の不思議ですよね。もうひとつ訊きたかったんですけど、海外でものすごい反応があるんですね。実際公開されてるのは何か国くらいなんですか。
片渕 僕も詳しく分からないんですけど39カ国ぐらいと聞いています。
高橋 ある意味このお話は特殊な話じゃないですか。日本という国の、戦争があって負けた。その史実を知らないとわからないようなことなのに。
片渕 そうなんですよ。
高橋 それで歴史的なこと全く知らない海外の人たちは、どんな反応?
片渕 いちばん最初に自分たちで行った、上映してる国はメキシコだったんですね。メキシコって国内で戦争したことあるんですかって言ったら「独立戦争のとき。それ以来ないんですよ」って。でもねお客さんの女性の方に話を聞いてみたら、うちのお母さんも昔貧しくって。なんかすずさんを見てたらそれ思い出しちゃってという方がいらっしゃって。そういう風に皆さんどっかで自分のところで捉えてくださるんですね。でもそうやって聞いてみると、フランスで出会った日本語を勉強してる若い女子学生の方なんですけど。はじめお目にかかったとき日本人かなと思ったら、カンボジアの方でお父さんの頃にカンボジアが内戦になったんで逃げてきたんだんだと。でもそういうこととすずさんのことが並んで語られるんですね。小さかった頃、まだ平和だった頃に一週間に1回甘いお菓子を買いにおじいさんに連れてってもらった。街で甘いの食べたんだよって。そういうようなことを他の国の方々は別の時代のこととして語られるんです。イラン出身でアメリカでアニメーションを勉強してる学生もいて「僕が子供の頃の戦争を思い出した。だからすずさんに共感できる」。僕らは70年前のことだと思ってましたってのが、逆に何かごめんなさいっていう感じだったんです。
(♪ 映画『この世界の片隅に』サントラより「すずさん」流れる)
高橋 そうですよね。僕たち日本人にとってはもうある意味忘れかけている過去の戦争なのに、何があったかっていうことをきちんと再現することで「この風景、この経験、この感情の揺らぎは知っている!」っていうのが多分言葉を超えてね、民族を超えてあるんだろうなっていう風に。そうでなければ逆に今の日本人にだってわかんないですもんね。
片渕 そうですよね。だから何て言うんですかね。もともと、やっぱり七十何年前って遠い時代になりかけてるのをなんかこう自分らで触れるようにしたいなという思いから始めたんですよね。でも他の国の人たちもそこに触ることができたんだなと。

 

スタジオから

 

 

藤井 今日の対談にメッセージも来ています。宮城県40代男性「aki@仙台」さんです。
東日本大震災が発生したとき私は公共施設で働いていました。その施設は指定避難所ではありませんでしたので毛布一枚も備えはなく市役所との連絡もつきにくい状況でした。施設側の判断で周辺の避難所に入りきれない避難者の受け入れを開始。並行して自治体、県警と連絡を取りながらおよそ二週間の間避難所であり続けました。内陸で起きていることも語り継ぐ価値があるというエピソードたくさんあります。でも時の流れとともに急速に風化しています。映画『この世界の片隅に』は風化への抗い方の一つを明確に提示してくれました。みずみずしく映像に蘇った広島、呉。そこに起きたできごとを、タイムスリップしたかのようにスクリーンに見せてくれました。私も東北に住まうもの。あの災禍を知る者として自分のできることで風化に抗い続けたいと考えています。追伸『この世界の片隅に』はこれまで35回鑑賞しました。」
高橋 このメールは片渕監督にはお伝えしてるんですけども。本当に『この世界の片隅に』は70年以上前の世界を再現するとことができた。僕たちは忘れやすい人間だから、人間忘れやすいものだからこそ、ああいう物語が必要なのかもしれないですね。
藤井 対談の続きは11時台にもお送りします。

 

スタジオから~

 

高橋 すっぴん!スピンオフ「震災特集 物語の力」。高橋源一郎と。
藤井 アンカーの藤井彩子でお届けしています。10時台からは特別企画スペシャル対談と題してアニメーション映画監督の片渕須直さんと源一郎さんの対談をお届けしています。
高橋 今までで最長になりますかね。
藤井 長い対談でしたね。それを編集してお届けしていますが。『この世界の片隅に』は世界39の国と地域で劇場公開されたりパッケージが販売されたりしているんですね。先ほどの話でもメキシコの女性は貧しかったお母さんのことを思い出した、フランスに住んでいるカンボジアの女性は内戦で父親が逃げてきた時代だと重なるんだというお話をしていた。イラン出身でアメリカでアニメーションを勉強する男性は自分の子供の頃の戦争を思い出したという話をしていました。twitterではあしたまごさんから「この世界の片隅に が世界中の人に共感されるのってつまり、世界中で戦争があって、今もずっとあるってことの裏返しなのかもなぁ… 海外の方々のお話は初めて聞く話だなぁ これもまたすごいことなのでどこかでまとめてほしいわ 記録に残しておいたほうがいいやつだな…」*1

というメッセージを頂きました。
高橋 そうだと思います。さっき過去はなかなか甦りにくい回想しにくい、僕たちは忘れやすいからだという話をしました。あのね70年以上前の戦争を思い出すのは難しい。そういう作業に取り組んだ結果、全然違うところで効果というか、受けとる人が現れたということですよね。当然日本の70年以上前の戦争を知らない人達が自分たちにも似たような共通する経験がある。あるひとつの経験を本当に再現できると、その経験以上の広がりを世界に与えることができる、ということなのかもしれないですね。
藤井 そして片渕監督自身は『この世界の片隅に』を作っている最中に東日本大震災を経験されます。それと並行して2013年にはアニメーション『花は咲く』を制作されました。ただ、このアニメの中には震災をイメージする内容っていうのは一切……。
高橋 ないんですよね。
藤井 この話についても伺っています。

 

震災と『この世界の片隅に

 

片渕 あの実は東日本大震災、僕らは『この世界の片隅に』作ってる間に起きたんですね。
高橋 あ、そうですね時間的にはね。
片渕 その時に僕らにも何かできないかなと思って、たまたまNHKの方で「花は咲く」っていう曲のキャンペーンみたいなのやってたんですけどね。それで最初はねいろんな有名な方が出てきて、皆でメドレーで歌うみたいなことをやってたんですけど。今度震災から丸二週年になったときにアニメーションで作ってもらえないかって話で。それは二周年だからちょっと意味合い変わるかもしれない。その時に自分たちに何ができるかなと思って。こうの史代さんも震災のことでいろいろ心痛めてらっしゃったんで、こうのさんにキャラクターを描いていただいて、自分たちでお話を作って『花は咲く』の5分のアニメーションを作ったんですね。
高橋 ええ。
片渕 この中にはね、震災のしの字も出てこないんです。全部がその前にあったことなのか後にあったことなのかもわからないし、ひょっとした全然違う場所のことなのかもしれない。ただ、そこに街があっていろんな人がいるよっていうことだけ描いたんですね。

高橋 あのう、このアニメを見たんですがちょっとなんか世界が、出てくる人の感じが、『この世界の片隅に』みたい。
片渕 ときどきすずさんの似顔絵みたいな人が出てきて(笑)。
高橋 そうそう、そうなんだよ(笑)。この段階では『この世界の片隅に』のキャラクターの画とかできてなかった?
片渕 でもほぼ並行してやってて。
高橋 じゃあ『この世界の片隅に』の匂いも濃厚な。
片渕 僕がこれテレビで放映してもらってね、観た方がたくさん泣いたとおっしゃったんです。そのことが大事かなと。だって震災ののしの字も出てこない。
高橋 出てこないですね。ある意味普通のいとしい日常が出てきただけですもんね。
片渕 そうなんですよねそのことを基軸に据えることで震災が何を奪ったのかなとかそういうことにね、心が進んで行くんじゃないのかなと思うんですね。
高橋 今日は「震災特集 物語の力」ということでそういうテーマで片渕監督とお話をしてきました。こういう話は結論なんか無理やり出す気は全くないので。僕も今日は自由にお話ができて大変嬉しかったんですが、本当にどの映画も素晴らしくて、でもやっぱり『この世界の片隅に』を観たときに、僕も含めてたくさんの人が心動かされたと思うんですね。折しも3.11のときに映画が作られていてて、『この世界の片隅に』はもちろん3.11なんか出てこないわけですが。私、3.11の後に、これ書いたことがあるんですけど。東北の惨状を見てですね。終戦直後の日本のようだと仰った人結構多かった。
片渕 逆に岩手の方で『この世界の片隅に』を映画でご覧になってね。あの呉の焼け跡が津波の跡のようでと仰った方もいらっしゃいました。
高橋 こうやって大切なものが全てなくなってしまうという時には同じような風景がもしかしたら出てくるのかもしれないですね。それにどうやって立ち向かっていくかっていうのも、もしかすると共通の課題なのかもしれない。ですからの『この世界の片隅に』のテーマはもちろん戦争だったんですが、さっきも監督も仰ってましたが、世界中でいろんな人が。日本では全く世代を越えて読まれているってことは、特にあの戦争っていうことではなくてもっと人間が抵抗できない大きな災禍に見舞われたときに、どうやって抗うか、立ち向かうかっていう、その立ち向かい方を示唆してくれるのかなと。アニメではその時代を再現するってことですよね。その空気の中に入っていく、そこに生きてた人がいると。僕らもその一人であると思えば、そっから先何を考えるか自由で。
片渕 そうですね。そうですね。
高橋 そこまで連れて行くのが、そこまで共に歩むのが物語なのかなっていう風に思ったんですが。片渕さんはその辺どう思われてますか。
片渕 いやほんとにね、自分もそこに立ちたかったっていう思いで。あれは立った時に何が見えるのかをそれを知りたかったっていうのは大きな動機ですよね。その先に、本当はどうだったらよかったのかとかっていう話はもっと先にするべきであって。なので『この世界の【片隅に】』なんだと思うんですよ。片隅からちっちゃな覗き窓として存在してる映画なのであって。その覗いた向こうの世界がどうであったか、どういう風に捉えるべきであったかというのは、それぞれの皆さんがまた自分で広げていって頂けるといいなと思います。
高橋 そういう風に世界が見える「片隅」を作ると。
片渕 そうですね。そこにも全力を注いで「片隅」しか作らなかった。
高橋 それっていうのも大変ですけどね。では監督、これからも片隅を(笑)、作り続けてください。
片渕 ありがとうございます。
高橋 では片渕監督とはこの曲とともにお別れです。
片渕 鈴木梨央さんと福島県双葉郡大熊町立大野小学校の合唱部の皆さんで「親と子の花は咲く」です。
高橋 今日はアニメーション映画監督の片渕須直さんをお迎えしました。ありがとうございました。
片渕ありがとうございました。

(♪「親と子の花は咲く」流れる)

 

スタジオから 振り返り

 

藤井 鈴木梨央さんと福島県双葉郡大熊町立大野小学校合唱部の親と子の花が咲くを聞いていただきました。源一郎さん、片渕須直さんとの対談を終えていかがでしたか。
高橋 本当は最後もっと長かったんですけどね。普段こうやってラジオで喋っているので、自分のを聴くことってなかなかないんですけど、いいですね(笑)。自分で喋ってることなんですけど、とても大切なことを片渕監督のおかげで聞くことができたという感じですね。
70年前のあの瞬間をまるで自分がそこにいるように体験するわけですよね。これよく考えてみると僕たちは本当は「いま」を生きている。「いま」を体験してなきゃいけないでしょ? でもそういう感覚が普段ないですよね。70年前のあの時間を体験できるほど、僕達は感受性を持ってるのに、いまがいつかわからないぐらいぼーっとして過ごしてることは多い。だから逆に「いま」を大事にしろっていうメッセージを受け取っちゃうような気がしました。
藤井 片渕監督も、この映画は70年前のあの世界を見るための、覗き穴である。片隅だけを用意したんだって話をなさっていました。その話を踏まえてtwitterkenjiさんから 「経験以上と言えば、「この世界の片隅に」を観てからふと気づいたんだけど、すずさんの世代の今は亡き爺さん婆さんの昔話を思い出すときに、背景がつくようになってた。」*2

こんなメッセージをいただきました。

高橋 (ぼくも)母親の手紙を十数年ぶりに開けちゃったからね。
藤井 千葉県の40代男性猫の通路さんからは「今聞いてます。うまく言葉で言えないけどありがとう。」こんなメッセージも頂きました。

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おしまいです(番組は続く)。