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ムービーウォッチメン『この世界の片隅に』全文

ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル内の名物コーナー

ムービーウォッチメンで「この世界の片隅に」が取り上げられました。

 (水曜日頃には公式におこし文が出ると思います)

 ※注釈のカット番号はコンテ集によっています。またわかりやすいように文章を調整しています。

 

この世界の片隅に

マンガ家こうの史代の同名コミックを『マイマイ新子と千年の魔法』などで知られる片渕須直監督がアニメ映画化。第二次世界大戦下の広島呉に嫁いできた18歳の女性すずが慎ましく逞しく懸命に暮らす姿を描く。ヒロインすずの声を演じるのは能年玲奈から改名したのんさんということでございます。

 

公開して以降、この番組にもやれやれというメールをいっぱい頂いておりまして、評判も非常に高く劇場もいっぱいだということを聞いておりまして。ようやく古川耕さんが「1万円なら安いもの」という名言を残してですね、偶然にクラウドファンディングを引いてしまったわけですが、当てさせて頂きました。

 

 

ということでこの作品も見たよというウォッチメンからの監視報告をメールなどで頂いておりますがメールの量は……、とても多い! 今年最多というわけではございませんでしたが『シン・ゴジラ』や『君の名は。』と比べると公開規模も全然少ないわけですから。

 

しかも賛否の比率が異常なことに。というのもメールのほぼ95%が絶賛ないし褒める意見。この投稿量でここまで絶賛が並んだのは過去に例がない。今年ベストという事はもちろん、生涯ベストという人も少なくなかった。 

「感動と衝撃で言葉にならない」「ただ作ってくれたことに感謝」「何気ない日常シーンが素晴らしくいとおしい」「生まれて初めて、あの時代を歴史としてでなく身近な日常の延長として感じることができた」「のんさんの声、演技も最高」などが主な声。

 

また初メールの方も多かったようですし、広島の方やクラウドファンディングに参加していたという方の投稿もございました。みなさんありがとうございます。

 

代表的な所をご紹介しましょう。「淫力魔人」さん。いやらしい。「『この世界の片隅に』。大傑作です。私の考えるこの作品の最大の魅力は『今ここ』に対する圧倒的な肯定です。主人公のすずさんは絵を描くことが大好きな女性で、戦争中でも持ち前の想像力で『今ここ』を彩どりたくましく生きていきます。しかし彼女の想像力と大切な人が抗いがたい現実、戦争によって奪われてしまいます」

ちょっと若干ネタバレ含んでしまいます。いいよね? いいよね? いいよね!

「想像力を発揮する手段を失ってしまったすずさんは、あの時あの場所でしとけばよかったこうしておけばよかったと、ここではないどこかへの思いを募らせます。ありえたかもしれない未来を描き始める、想像力を表現する手段。しかし、それは夫周作の言葉通り覚めて終わった夢と変わりがないのです。

辛い現実により空っぽとなってしまったすずさんですが出会った人々死んでいった人々の『笑顔の容れもん』*1になることにより」

これは劇中のセリフでございます。

「再び今ここに生きる決意をします。この作品を観ている間は悲しくも美しいまさに夢のような時間です。夢から覚めたとき私もすずさんのように『今ここ』で生きていこうと強く思いました。」

 

ラジオネーム「ゴウカ」さん。2回とも立川シネマシティの極音上映にて観てきました。1回目は会社の友人達と鑑賞。 2回目は一緒に暮らしている祖母が、自分の買ったパンフレットを見て『この映画どんな映画なのかえ、見てみたいねえ』と興味を持ち」。

本当におばあさんが「なのかえ」と言うんですかね。すごいね。

「普段腰が悪くあまり外に出たがらない祖母が興味を持ってくれたことが嬉しく、車で祖母と見に行きました。鑑賞中祖母は大号泣。感想を聞くと、うちの祖母は戦争終了直前に生まれ、戦時中の記憶はあまりないそうですが、祖母の母も生前すずのような明るい人だったそうで、祖母自身は径子のように自立した女性になりたがっていた。あまり打ち解けることができないままだったそうで、祖母はこの映画を通じて自分の母の明るさの裏側を感じ、ひとつ折り合いがついたようでした」。

これはすごいね。

「僕は『私の母もすずさんと同じ様に戦争と戦ってたんかねえ』と笑う祖母の顔がとても印象的でこの作品を実現してくれたすべての人に感謝を捧げたい気持ちでいっぱいなりました。祖母と僕の心の1本です」。

ここまでで、もう一本の『この世界の片隅』にだよ。ここまでで、もうできちゃってるね。

 

合わなかったという方。

「見終わった時に観客から自然と拍手が起こっていました。こんな経験はもちろん初めてでした。一緒にいた友達はずっと声を出して泣いていましたし、他にも多くの方が泣いていました。しかし正直なんでここまで絶賛するのか全然僕には理解できませんでした。良い映画なんだろうなということはわかります。別に悪い映画と思っているわけではありません」

なんかちょっとハマらなかったという感じでございます。

 

ラストに出てくる孤児に関する解釈を送っていただいたワタルヒロさんとか。まあいいか、これやってるときりがないね。全部のメールを読みたくなっていっちゃうんですけどね。みなさんも片隅に生きている物同士それぞれの感慨が映画のこの世界をつなげていくというか、そんな感じの作品なのできりがなくなってしまいますが、本当にみなさんありがとうございました。

 

というわけで『この世界の片隅に』。またコトリンゴさんの歌が催涙効果があるんですよ。この間まで一緒にステージ立ってた人と思えませんけどね。ということで私も109シネマ二子玉川で結局3回見ちゃいました。めちゃめちゃ混んでいてニコタマぐらいまで行かないと見れないなと思っていたんですけれども、都内は結構大入り満員でユーロスペースとかで見るのは大変だわと思って。ニコタマも結構大きな劇場だったんで満員では無いけどほぼほぼ満員。

 

逆にせのちんさん曰く地方は結構ガラガラだったりもするみたいので、これはちゃんと評判を広げるという意味でも古川さんの1万円を有効にこの番組で使わせていただきたい。

 

 

最初にまず僕がどういうテンションかというの言っておきます。僕のテンションね。
5,000億点ですね。

点数表現インフレが進行しすぎてこれを言ってもみんなピンとこない。

とにかく5000億点です。

  

間違いなく日本アニメ史上に残る、日本映画史に残る大傑作。明らかにどう見ても特別な1本てことなんじゃないでしょうか。 クラウドファンディングでお金を集めてパイロットフィルムを作ると、そのクラウドファンディングにチクショー! 金を出しとくんだった! ものすげえいばれたのに! とか(笑)。
後は製作委員会の中に株式会社TBSでタマフルの前プロデューサーの野上知弘さんのクレジットがあってちくしょう。橋Pなんか『あしたのジョー』なのに。こういうジェラシーを感じて。正直参りました。すいません。サーセンでした。すげえ…。

 

1回目私もまっさらな状態で原作とかも読んでなくて、そういう段階でがつんと食らって。ここから原作マンガを読んだり公式資料に触れたり片渕須直監督の過去作を見直したり。からの2回目3回目というのをやっていくと、ますます今回の映画は、本当にカットの隅から隅まで、調べ抜かれ考え抜かれ磨き上げ抜かれた見事な結晶だということがわかって、改めてさらに感動が増すというですね。味わっても味わっても思ってたよりもっとすげえなみたいな作品でございました。

 

そもそも元々原作を読んでいてご存知の方からすれば何を今更という話ですけども、こうの史代さんの原作マンガがすでにちょっととてつもない大傑作なんですよね。徹底した調査考証と同時にマンガならではの可能性を追求した実験の数々、コマ1つ1つ読み取れる情報量の多さ、一個一個のディティールに情報量がめちゃめちゃ入っている。

 

言葉じゃなくても入ってるというのも含めて僕はアラン・ムーアを連想したぐらいです。自分で絵を描いてる分こうのさんの方が偉いぞぐらい。コマ割りの実験とかもやってるあたりにアラン・ムーアを連想したぐらいなんですけど。とにかくすべてに計算が行き届いている凄まじい作品でございました。

 

掲載誌「漫画アクション」で実際に連載してる時に、劇中の昭和19年何月というのと前述の平成19年何月というのが完全にシンクロしている。昭和19年と平成19年が完全にシンクロしていてリアルタイムで何年何月が進行していく*2

つまり登場人物の生活感とこっちが地続きで完全にシンクロして感じられるっていう恐ろしいことをやっているわけです。ということで未読の方は、今さら僕が偉そうに言う訳じゃないですけども、映画のほうにやられた方も是非原作のこうの史代さんのマンガをさかのぼって読んでいただきたいんですけども。

 

こうの史代さんの原作マンガが片渕須直さんというアニメーション作家の資質と最高レベルでマッチしていて、結果として1+1が2以上のケミストリーを起こしたっていうのが今回の劇場用長編アニメーション『この世界の片隅に』という作品であるというふうにまず言えると思います。

 

 

どういう話か。実はタイトルに全部わかりやすく集約されていますよね。『この世界の片隅に』というこのタイトル。要するに「この世界」というのは戦争であるとか国家、政治、経済、思想など全部ひっくるめて歴史。そういう大きな物語、これが世界ですよね。

 

大作エンターテイメントだとデヴィッド・リーンとか大きな歴史の方を描く。

これはエンターテイメントの王道の1つなんですけど。
ただ一方でその足元には我々のようなひとりひとりの人間の日々の暮らし、営みがあって。歴史、例えばフィデル・カストロが死んだとかに比べれば、あまりにも取るに足らない、おしっこ漏らしたとかそういう小さな話小さな物語が無数にあるわけじゃないですか。

 

それこそ毎日ご飯を作って食べるとか、その材料を買ってきたりどこから取ってきたり加工したりとか、あるいは水とか含めて口に入れるものをうんせうんせと運ぶとか、毎日掃除したり修繕したりして住む環境を整えるとか、毎日着る服を洗濯したり、ときには修理したりたたんだりするとかですね、その中でどじったりケンカしたりとしょうもないことがいっぱい起こると。

 

とにかくそういう日々のこまごました営みね。普通のエンターテイメントではそれ自体がドラマであるとはあまり見なされないような、こまごました日々の営みという側から、歴史とか国家のような大きな物語というのを浮き彫りにする。もっと言えば小さな物語側の視点から、結果として大きな物語を鋭く批評してしまってるという、ざっくり要約すれば『この世界の片隅に』はそういう作品なわけですよ。

 

このテーマがアニメーション、わけても片渕須直さんという作家がこれまでこだわり抜いて作ってきたアニメーション作品の要素とかこだわりのポイントと最高に相性がいいということだと思います。『マイマイ新子と千年の魔法』とか同じこうの史代さんと組んだ『花は咲く』のみんなの歌のアニメバージョンとかの延長線上のさらに究極形というか。

 

日常のこまごまとした営みっていうのは、生身の人間が演じれば、なんてことはないそのままの動作ですよね。日常生活の様々な動き、アクションが、これがアニメーションで丁寧に描かれる。

 

通常の日本アニメだと動きと動きのカットの間に中間ポーズを描くいわゆる中割りというカットを、中抜きって言って飛ばしてスピーディな動きを表現するんですけど。特に今回の『この世界の片隅に』では、その中割りを丁寧によりしっかり入れていくことによって、本当に連続している動きの感覚っていうのを強調していると。
アニメーションが丁寧に動くことで、日常の動作それ自体が、凄く喜びとともに表現されている。

 

「ああ、そこにある! 本当に動いている」という感じが、日常の動きそれ自体に、価値が生じる。これ以前に細田守監督を当番組のゲストにお招きしたときに、アニメーションで日常の動作を自然に描くとそれ自体がすごくいいと。これはアニメーションのワンダーな部分なんです、という話をして頂きましたけれども、まさにその意味で『この世界の片隅に』は全編その種のアニメーションならではのワンダーに満ち満ちた作品であると言えるわけですよ。

 

 

例えば冒頭からしてですね、主人公のすずがまだ幼い時に広島にお使いできて船を降りて雁木の石の階段の横壁を使って、体からすると相当大きな海苔の箱を、一旦壁に押し付けてから風呂敷で背負い直すこの動きですよね。*3

 

この子は本当に自分の体ぐらいの大きさの重いものを背負っているのだ、イコールこの子は実在する、生きているというこの感覚。「かわええのお」みたいなのも含めてですね、それ自体が1つの表現というか、ひとつのいい! という表現になっている。まさに命なきものに命を与える、これはまさにアニメーションの真骨頂ですね。冒頭の1つの動きでさえそれがある。

 

ちなみにその後すずちゃんがね、広島市の中心部中島本町という商店街に入って行く。ここにまずね僕は東京の人間で普段何も考えずに生きている証拠に、ここであっと思わされて。

 

いま平和記念公園になっているあのあたり、あそこはそうだよね街だったんだと。平和記念公園だと思っちゃっているから、「そうだよちゃんと人が生きてきた街だったんだ」と、ここではっとさせるというのがありますし、建物などの考証はもちろんのこと、そこで暮らしてた人たちは原爆で亡くなっちゃったりするんだけど、たまたま疎開して難を逃れたような人、当時は子供だった人たちに、レイアウトを見せてチェックしたりして、建物だけじゃなくてそこにいる人たちの考証までしている。

 

NHK広島の番組で紹介していて後に一瞬だけ映る理髪店のお父さん、そして家族達は本当にそこで暮らしていた*4

理髪店の息子さんがもうおじいさんになってるんですけれども、それを見て「すごいね、あれだけのものがよみがえってくるいうたら。うれしかったですねやっぱり。取り上げてもらうこと自体がね」と。*5

そんなことまで再現して見せているということですよね。ともあれ戦時下の広島呉の人々の暮らしが、最大級に丁寧なアニメ表現によって、本当に文字通り「生き生きと」実在感をもって描かれていると。

 

 

特筆すべきはフード演出。福田里香先生言うところのフード演出、食べ物をめぐる演出はそれ自体が物語の一部というかはっきりと物語の根幹ですよね。

それは食べ物っていうのは主人公のすず達にとっては日々の暮らしの中心ですよね。何を食べるかどうやって調理して日々の命を繋いでいくか、小さき物語の中心にあることなんだけど同時に、どうってことない庶民の取るに足りない物語性なんかないように見える食卓の変化が、実は否応なく大きな物語歴史とか国家の変貌というものを表している。

そういう風になっていると。今回の映画版はですね、当然のごとくマンガ版よりも時間を圧縮して見せている分ですね、マンガだったら枠外に書いてあったりするんだけど。

 

直接的なそういう言葉の説明をより省いている分、観客である我々の映像のディティールと行間を読むリテラシーがより要求されている作品でもあってですね。
すずさんが妊娠したかと思いきやというくだりがあるんだけど、映画だとフード演出だけでどういう顛末なのか説明されるっていうことじゃないですか。そこは読み取り能力がすごく要求される。

 

 

一方で原作マンガには無い、しかし非常に重要かつ非常に有効なオリジナル展開が付け加えられている。

具体的には終戦の日にご飯を炊いて食べるというエピソードが改めて追加されているんだけど、ご飯を炊くかまどから昇る煙が日々の暮らしを体現するわけですよ。それがあちこちの家から上がってくる。*6

しかもそのショットは同一画角のショットが映画全体にものすごく効果的にちりばめられている。同じ画角なんだけど「あ、暮らしが戻ってきた」という感じがパッとわかるようになっていてそれも見事だし、飯を炊くかまどの炎と男たちがむなしく戦争の後始末をする炎というのが見事に対比されていて。*7

それによって全体を貫く食べ物を作る小さな物語と戦争だ政治だ思想だ国家だっていう大きな物語の対比構図が見事なかたちで決着するという、これは映画版の最高のプラスアルファだと思います。 こんなものが付け加えられているわけですね。

 

 

ことほど左様にフード描写だけじゃなくて、暮らし全般です。終戦の日のご飯を食べている場面(では灯火管制が解除される)*8

光が外に漏れないように灯火管制の布が、ちょっと戦局が悪化してる時は半分かぶっていて戦時中は完全に被っている。*9

ここにも物語的ディティールがありますし。

 

あるいは序盤のあの椿の花の使い方であるとか、着ているものとか柄とか色をよく覚えておいてね。

嫁入りの時にすずが持ってきた着物、終盤でどうなりますか。これよく見ておいてくださいよ*10

あらゆる細かな生活のディティールがそのまま物語、ストーリーテリングに直結している、そういう作りのわけですよ。なので1回見ただけではわからない情報量が本当に詰まっている。126分はあるけど結構あっという間に感じるのはその情報量を読みとるので頭がフル回転するからと思います。

 

基本は軽いオチが毎度終わりにくるコミカルな軽いタッチの生活マンガなんですよ。「おじゃまんが山田くん」みたいなことなんです。強力なストーリー的推進力は一切無いはずなんです。
なんだけどストーリー的推進力の強力な仕掛けは日付ですよね。我々は日付を知っているから、カウントダウン。「その冬は、雪が多うて、春が待ち遠しかった」と思った昭和20年*11

時間たたない方がいいんじゃないのという、それ自体が巨大なサスペンスである作りにもなってたりですね。

 

ずっとこう、地を這うような日常のこまごました視点なんだけど、あるところで極端な鳥瞰視点、つまりB29からの視点。それ自体の暴力性ですよね*12

完全に人という感覚を失ってしまう極端な鳥瞰視点の暴力性ですよね。あるいは音の演出ね。義理のお母さんが「大ごとじゃ思えた頃がなつかしいわ」と話すあの場面、実はずっと飛行機の音が不穏に流れている。*13

大ごとだと思っていた頃が懐かしい、それと同時に一見のどかに見える畑の光景では、兵士の出征を万歳とやっている人もいれば飛行機の影はブーンブーンと通るこの暴力性。実は合間合間に暴力的なディティールが入ってくるという、話を引っ張って行く非常に見事な語り口じゃないかと思います。

 


あと先程から言っているように小さな物語対大きな物語という構図は実は庶民対歴史・国家とかそういうレベルだけじゃなくてすずさんという大正14年生まれの女性は決して自分の気持ちを直接口にはしないし行動にもめったに現さない*14

がゆえに絵にそれを託している人、でそれは途中で奪われてしまうという話だけど、彼女の内面と彼女を取り巻く環境、結婚を含めたかつての家制度みたいなそういう対比対立。彼女とその外側の対立。これも大きさの差こそあれ小さい物語と大きい物語の対立であり対比ということになって「大小の個VS世界」っていう構図が折り重なってる。年月とともに変化していく様子が、直接的には語られないのも含めてすごく味わい深いドラマを醸し出している。例えば旦那さんとの関係の変化であるとか。義理のお姉さんとの関係の変化とか。それを通じて彼女が家の中で折り合いをつけていく、そこに小さなドラマ対大きなドラマの戦いもあるという非常に重層的な話もあって。

 

その上で大変大人な作品です。実はすごく色っぽい瞬間もいっぱいある。あぁ時間がないなあ。

 

これもちゃんと言っておかないといけないのは、さっきから言ってるいわば自然主義的なアニメ。動きをすごく自然主義的に表現すると同時に、とある場面で強烈としか言いようのないインパクトを残すノーマン・マクラレン風というカリグラフィー風の実験映画風表現であるとか、原作に倣って左手で描いた(ように歪んだ)背景。あるところでは画面全体が水彩画風になったりとか。もう今は無い右手の記憶っていうのがすごく抽象的な表現で出てきたりするんです。

 

これどういう事かっていうと単なるリアリズムじゃないんです。単なるリアリズムというのは、さっきから言っている「大きな物語」的発想じゃないですか。主人公のすずさんの目から見たリアルを描いているから日常描写はものすごく自然主義的リアルだし、彼女から見て超現実的に見える光景はたとえ現実であっても超現実的表現になっているという、まさにスーパーリアリズムとかそういうことだと思いますけども。原作のマンガならではの実験表現をアニメ映画に置き換えてアレンジしてるということでもあると思いますね。

 

 

とにかく題材、テーマとアニメーションならではの表現が完璧なケミストリーを起こしている作品だと思いますね。そしてケミストリーの決定的なファクターがのんさんですね。

のんさんはすずであるというか。ちょっとちびまる子ちゃん風であるともいうか可愛くもあり古風でもありみたいな話し方なんだけど。完全に天然*15なんだけどチャーミングに体現しつつ、その奥にある影の部分であるとか芯の部分みたいなものもちゃんと表現している。のんさん=すずという、これを完全に体現できたところが最後のケミストリーの完成形の最後のピースということじゃないでしょうかね。

 

水原哲という幼なじみと一夜を過ごした時に、急にすずさんが大人っぽい声になるんですよ。あそこで「水原さん」と言い、えっとなる。あのあたりとか本当に見事でしたね。
他の方も本当に素晴らしかったです。原作からの改変でリンさんというキャラクターのエピソードは劇中にない台詞が回想に出てきたりして多少は端折り感があったりしますけど、終戦の日慟哭しながらの台詞、でもここはいい改変でしたね。*16

より生活視点の食べ物ということから自分も日本の帝国主義の一部だったのかということが浮かび上がる、若干頭でっかち感がなくもないけど、僕はこれはこれでひとつの正解な改変だと思いますし。


ラストの戦災孤児、メールの解釈よかったですね。あれはかつてのリンさんの姿を見ているんだと。これはいい解釈だと思います。

あそこで終わりじゃなくて映画オリジナルのエンドロールがつくことでより救われるっていうのもありますし、やっぱり現代につながってゆく感ですよね*17

ラストは『マイマイ新子』の時代に接続するわけですし*18

現代の地続き感で終わらせるという意味で意義深い終わらせ方、アレンジをしているんじゃないでしょうか。本当にワンカットワンカット味わい尽くし足りない。これから何度も見るたびにいちいちよくできてるなと。「時限爆弾に気をつけろ」っていう注意が聞こえないのにはそれなりに理由のある演出をしてたりとかですね、何度も見返したいと思います。

 

これも言っときたい。今までいろいろ言ってきましたけど驚くべきことに基本全編めちゃめちゃ笑えるんですよ。何が驚くってですね、大きな物語的には最大の悲劇が起こるあの日があるわけですね。人類史上でも最大級の悲劇的な日ですよ。でもその日に笑っちゃうことは起こってるし、それを見せられた観客も自然に笑っちゃってるわけです。「そりゃ嫌味かね」と。*19

大きな物語に作品自体が屈してないんですよね。そこに本当に感動しますし、普通に見てて楽しい作品であると同時にドスンと来る。

火垂るの墓』『となりのトトロ』は鬼の二本立てと言ってますけど、それを完全に融合したっていうかですね、恐ろしい一本じゃないでしょうか。間違いなく今年を代表する一本であり、恐らく日本映画史に残る大傑作ということになっていくんじゃないでしょうか。
万人にお勧め致します。

 

5000億点!

 

 

 

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*1:コンテの表記による

*2:こうの史代本人がこのことについて語る記事  こうの史代先生『この世界の片隅に』インタビュー 祝!劇場アニメ化正式決定!! なんと、クラウドファンディングサービスで国内史上最高額3622万円到達!?  |  このマンガがすごい!WEB

*3:コンテ集カット11、原作「冬の記憶」4ページ目 雁木と呼ばれる石の階段を使って背負い直す。パイロット版にも含まれていて、楠公飯を食べるところの動きとともに映画の「アニメの動き・芝居」を象徴する場面のひとつ 参考記事

「箸の芝居が全員違うのは何故?」「アニメスタイルイベント ここまで調べた『この世界の片隅に』 その調査・考証の全て!?」 - 廣島城天守閣

 

*4:たとえば2013年の監督の連載に濵井理髪店の記述あり。1300日の記録[片渕須直]第45回 生きていた中島本町 | WEBアニメスタイル

*5:10月19日(水)NHKニュース おはよう日本 特集より 濵井理髪店ご子息の濵井德三さんの語りをそのままおこして挿入。

*6:カット1305。同じ構図は映画に何度も出てきて、人が行き交ったり、飛行機が飛び交ったりしている。

*7:カット1299~1302 女性が食事を作る煮炊きの炎と、軍事機密を燃やす義父円太郎さんの炎の対比。「2000馬力」の台詞も含めて彼の印象深い場面

*8:カット1318。コンテ集の画、文ともに詳細。駆逐艦「椎」から見た実際の記録が描写の元になっている。 

参考 映画「この世界の片隅に」の片隅の、とある駆逐艦の記憶。 - Togetterまとめ

*9:カット216 昭和19年2月23日の嫁入り当日、電球にかぶせる布は見られず。カット321 昭和19年3月の江波の浦野家では半分布をかぶせている。カット435 昭和19年5月の呉北條家では完全にかぶせている。これ以降は終戦までずっとかぶせたまま。尚、嫁入りの日付の根拠はこのコラムに語られている。

 http://www.mappa.co.jp/column/katabuchi/column_katabuchi_34.html

*10:カット1370、原作43回の3ページ目。物々交換で食料と交換している。「大人になること」の象徴であった着物をここで手放している。参考記事

すずさんは間諜になれません…あるいは周作さん江波山登山の謎 - 廣島城天守閣

*11:映画本編に基づいてモノローグを補完

*12:カット969~971 昭和20年4月6日 B29が大和を撮影している。直接の描写はないが翌7日に大和は沈没する。

*13:カット276 昭和19年3月。原作の昭和19年5月の台詞を用い脚色。原作ではすずさんとサンさんが家に帰る途上での台詞。絵のうねりが強く印象に残る。

*14:ラジオの発言では昭和元年だが、昭和19年2月にお嫁に行った時点で満18歳なので大正14年生まれが正しい。公式ガイドの年表も昭和元年となっており、監督からもtwitterで訂正あり。

*15:50回聞いても「チュエンネン」と聞こえるが、文脈に沿って補った

*16:カット1288~1294 食べ物を手掛かりにすずさんは戦争を思う。映画では全編食べ物がクローズアップされていてこの場面への静かな伏線になっている。

*17:エンドロールのラスト、呉港に船が入ってくる画は昭和25年頃とコンテの解説にあり。この年「旧軍港市転換法」が施行され、海軍の街・呉は平和都市としての新たな歩みを始める。ただ民間船の寄港については昭和23年「呉港貿易港」指定時より可能になっている。すずさんと晴美さんが軍艦を見た段々畑で、戦災孤児のヨーコさんは家族とともに軍艦ではない普通のお船を見るという余韻の深いラスト。

*18:マイマイ新子』は昭和30年の山口県防府市が舞台。映画本編が戦争後の昭和21年1月で終わり、エンドロールで昭和25年を描くことで、より『この世界』から『新子』への流れをスムーズに繋げている。

*19:カット1247 原作38回3ページ 原爆被災の広島に行くためのわらじ作りですずさんよりも径子さんのほうが下手な場面。