メディア芸術祭トークショー『この世界の片隅に』音声おこし

2018年6月23日にTOHOシネマズ 六本木ヒルズで行われた文化庁メディア芸術祭内イベント「アニメーション部門大賞『この世界の片隅にトーク付上映」の音声おこしです。※適宜修正を加える予定です。

 

トークショー動画の音声を文章化したもので、文責は私「an-shida」です。

・読みやすいように語順の調整などをしています。また言い間違いだと私が判断したものについては注釈なしで直している箇所があります。

・公式の指示があったときは速やかに公開を停止します。

・もし公式の要請があれば本おこしを提供いたします。

 

 参照動画

 

文化庁メディア芸術祭この世界の片隅にトークショー
登壇者 吉田正夫(審査委員) 片渕須直(監督) のん(主演女優)

 

片渕 ここは東京国際映画祭でプレミア上映をやったところなので、すごく懐かしいですね。それから随分経ったんですけど、いまだに劇場で上映が続いていてありがたいなと思ってます。
吉田 アニメーションって基本的にはたくさんの人で作る作品だと思うんですけども。個々の作品を好きだから作るっていうところがあると思うんですね。ということは好きにならないといけないようなところがあると思うので、好きになるという意味では自分の分身を映画の中で描いてるように感じるところもあると思います。ということで考えると、のんさんにとってのすずさんて自分の分身として感じるとしたらどんな感じなのかな、ということと。キャラクターのかたちそのものが似てるようにも見えるので、キャラクターから入っていただいてもいいんですけど、性格的にとか、似てるところがあるなということをお聞きしたい。片渕さんの作品も似たような主人公が多いし、そこには片渕さんの分身的な要素が入ってると思うので、その辺どういう風にして、作品の世界、キャラクターの中に入り込んでいくのかというようなことを、ちょっとお聞きしてみたいと思うんですが。のんさんからいかがでしょうか。
のん えっ、と……。すずさん、私は役に取り組むときに、最初に自分との共通点を探してそこから広げていくっていう風に言ってるんですけど。そのときに見つけたのは、ぼうっとしてるって言われやすいとこだったりとか。
一同 (笑)。
のん 実は力強いところがあったり、おとぼけて見せたりとか、あたりが好きなところだったり。そういうところは自分と似てるかなって思いますね。

吉田 ありがとうございました片渕さんいかがでしょうか。
片渕 (マイク入っておらず)※※※※※。
一同 (笑)。
片渕 (笑)。(音声入る)それがね、言われるまでちょっと意外だったところがあるんですけど、言われてみると、やっぱりそれぞれの登場人物がどこで何を感じてっていうところでは、自分で一つ一つ納得しながらやってきたことではあるから、どっかで自分とおんなじように、同じシチュエーションなら同じように感じてるんだろうなって、改めて思うと思いますね。
吉田 メディア芸術祭の受賞式の時にタミヤ模型の社長と、片渕さん会話しててそこで面白いと言ったのは、そのメジャーで測るということを社長。が言っていたときに、片渕さんも「私もメジャーで測る」っていう風に言ってたんですよね。その辺もちょっと説明をしていただけると。
片渕 田宮俊作さんが功労賞を取られて、模型会社の社長さんで会長さんも兼ねてらっしゃって。でもすごい長いこと、60年やられたっておっしゃってたんですけど、模型を作るために実物があるところに海外とかで行くと、カメラとメジャーを持っていって、自分で測ってそれをこういうかたちなんだって把握して、持って帰って日本で模型に作り上げていくんだって、おっしゃってたんですね。そのことって、だいぶ前から読んでいたりもしたんですね。むしろアニメーションとかを志す前、中学生ぐらいの頃から、こういう風なことをやってらっしゃる方がいるんだなっていうのは存じ上げてたんですね。そういうことで言うと、いつの間にか自分もそんなことをやってるんだなっていうのですね。僕らがやってるのは飛行機とかのサイズを測るんじゃなくて、道端のドブの幅を測って、周作さんとすずさんの二人入れるのかとか(笑)。
一同 (笑)。
片渕 そういうのを計ってたりするんですけど。でも気がついてみるとそういう風に世の中と(接していて)。メジャーで測れるリアルさでもって、世の中と相対してるんだなって、改めて思いますね。

 


吉田 地続きなリアリティっていうのは片渕さんが作っていて、そういう中で独自のキャラクターが動いてるから、みんなに生きているように伝わるんだろうなっていう風に感じたわけですね。その機械少年みたいなところが、アニメーションの中で飛行機が出てきたり、戦艦が出てきたりするようなところに反映してるし。義理の父親が書類を焼いて、第二次世界大戦終わったという風にけじめをつけるという職工のようなところにね。そういう片渕さんの男性的なサイドが現れてきてるような感じがしましたけど、その辺はいかがでしょうか。
片渕 そうですね。男の方からするとやってることに引け目を感じたほうがいいなと思ったんですよね。同じ8月15日に火を焚いてる人たちがいて、一人は戦争の後始末をする、戦うための兵器を作った図面とかを焼いてるわけですよね。すずさんと径子さんたちの方はそうじゃなくって、その日の晩御飯作るために火を焚いてんだなと思ったら、それはこうの(史代)さんの原作にはなかったんですけど、すごくすずさんたちのやってることが納得できて。そういうものがその先の日々につながっていて、今日の我々の晩御飯につながってるんだなと本当に思いましたから。それはある種の憧れみたいなことなのかもしれないなと思うんですね。こういう風であるべきなんだなっていう気持ちじゃないかなと。
吉田 火を燃やすっていうことで自分にけじめをつけるっていうこともあるし、家庭の主婦とすれば火を使って家庭を支えなくちゃいけないってことですから、そういう意味の日々の生活を営んでいく苦労さは描かれていましたけど、そのへんは演じていて、のんさんどんな感じがしたんでしょうか。
のん そうですね。ええと、私はいままで、戦争がまさに起こっていたときの日本のことを、なんか漠然と怖いなと思って、見ないように避けてたところがあったんですけど。今回すずさんを演じることになって。ちゃんと向き合わないといけないなっていう気になって。想像したり、監督からお話聞いたりして、イメージしたりしていたんですけど。すずさん達が生活していたり、ご飯作って、美味しいご飯食べたり、美味しくないご飯食べて、ハッてがっかりしたりとか。
一同 (笑)。
のん そういう生活を追っていくと、親近感がわいて、より自分のことに引きつけて考えられるようになったっていうか。怖いっていうことじゃなくて、この人たちも同じ人間なんだっていう。何て言うんですかね、共感することによって、生活っていうのを感じて、自分の中で、そのときに感じてることだったりとか、見てるものだったりとかリアルに浮き上がってくる気がして、それがちょっと自分の中で不思議な感覚でした。

 


吉田 すずさんが結婚して、家庭の中に入って、日常生活を送っていく中で。日々の生活は淡々と送っているけれども、自らあんまり笑うことは最初はなかったような感じがするんですけど、あの自分のやっている不始末で、周りから笑われるっていうことはあっても。自分からそれを笑っていくっていう余裕が、まずはなかったような気がしますけど、その辺は何か感じることはありましたか。
のん 私は、ぼーっとしているっていうよりも、すずさんはずっと考え事をしてて、想像の中でいろんなものを面白がったりとか、していたりするんだろうなっていう風に解釈していて。なので自分ではそんなにおかしいことしてる気がしてないのかなっていう風に思ってました。
吉田 それは一人で自分の中に閉じこもってるっていうニュアンスが、ちょっと強くなってきてしまうと思うんですけど。家族の中での立ち位置を満たすためには、やっぱり家族との交流がないといけないので、そのときには交流が出そうになってくるのが、哲さんが来たときに、その納屋の二階かなんかで怒りをちょっとぶつけるところがあのやっと感情が出てきてるような瞬間なのかなっていう風に理解したんですけどそのへんは自分の感情の流れの中ではどんな感じなんでしょうか。
のん そうですね。それまでは気を張ってて、北條家で主婦をやってくために勤めてたと思うんですけど、哲さんとこに行っておいでって言われて、中ばおうちを追い出されて。……それで幼馴染と一緒に、時間を過ごすっていう風になったときに、なんかもう始めからそのときには既にすずさんの中で、思っている感情だったり、それまで気を張ってた部分だったりとか。気が緩んでパンとはじけたのかなっていう風に思ってます。
片渕 そこはどういう気持ちなのか、もっと説明してくれって(のんさんが)言ってきてましたね。あそこを演じるときね。
のん そうですね。なんか私の中ですずさんがあのときに哲さんに対しては「私はこういう日を待ちよったかもしれん」って言うのが意外で。そういう、こと言うんだすずさんも、っていう風に思って。旦那さんが周作さんがいるけど、なんかちょっと心が揺れ動いてるようなこと言うんだっていうのが、悩んでしまって。それで監督に問い質したんだと思うんですけど(笑)。
一同 (笑)。
片渕 僕も原作のこうの史代さんに聞いてたので「昔はあの二人は同い年で同級生で。すずさんは5月生まれで、哲君はきっと早生まれだから。小学校低学年ぐらいの頃は、哲のほうががチビだったんじゃないか」って話とか聞いて。だから本当にふたりは幼馴染でね、兄弟っていうと弟みたいだった時期があって、それが大きくなったんで戸惑ったんだけど、やっぱりなんかそういうような頃のことが生きて、心の中にまだあるんだなとか。そういうような関係として、思ってみたらどうかって、言ってみたんですよね。
のん それがすごい助けになって、だからあんな風にリラックスして、一緒に過ごしたりとか膝枕とかも。一緒にお布団入ってぬくぬくしたりとか、なんか家族みたいに思ってるからなんだなっていうのは、すごい納得できました。

 


吉田 映画の中で二人の男性が出てきて、片方は幼馴染だけど、幼馴染が支えているのが日常が平凡でいいんだということを、その外から支えてくれるっていう男性が哲で。そういう存在があるので家庭の中ですずさんが安心していられた。外の空間を安定の空間として哲君が支えてくれてて、さらに家庭の中で安定させてくれる人物が周作さんだと、そういう役割分担があるんだと思うんですよね。だから最後のときに、哲君の存在はわかったけど声をかけない。なぜならば普通の生活の中にいるからだ、そういうことだと思うんですよね。だからあそこであんまり深い関係はありえないじゃないかなって私は思ったんですけど。平凡っていうか普通の生活という意味の存在としては、哲君がいるんだろうなっていう感じなんですよね。そのへんどうですか片渕さん。


片渕 多分そうなんだろうなと思うんですよね。(すずさんは哲さんを)そんなに意識しないで生きてきて、急に嫁に来てもらいたいという人がいると言われて、初めて気になったりしたんだろうなと思うんですね。でもその人が自分の今の結婚した後のことを認めてくれたことは、すずさんにとって凄く大きかったんじゃないかなと思いますね。すずさんはひょっとしたらそこで苦労してるかもしれないっていうのは、哲が気にしてくれていたこともすごく心の拠り所になったかもしれないけど。周作とこういう結婚生活をしている、はじめは相手のことも知らないでお嫁に来た、そこの家の生活のことをこんなに認めてくれているっていう。そういう哲が居て呉れたのが、その後の彼女の気持ちはもうすぐ大きく支えたんだろうなって気がしますね。だからこそ、そのあと、周作と思いきり口げんかとかもできるんだろうなって。あのおかげで周作と家族になったんじゃないかな。
吉田 多分それまでその対話する関係を作れていなかったんですよね。すずさんは、ひとり自分の心の中に閉じこもって、絵を描いて自分と対話はできているけれども、その外にいる人と対話して何か決断していくということが、あまりなかったけど。あの哲さんと出会ったことで自分の感情に気づいて、怒りに気づいて、それを表出していいんだという風に気づいたっていう、その非常に劇的な瞬間だったように思うので、そこは素晴らしく見事に演じていたなっていう風に。そう言える立場じゃないんですけど(笑)、感じました。素晴らしかったと思います。いちばん最後の方で号泣するシーンがありますけど、先ほど打ち合わせした時に聞いたら、なかなか泣けなかったんだそうです。泣けなかったのを泣けるように工夫したらしいので、その辺の工夫の話を片渕さんに聞いてみたいと思います。
片渕 ここにガラスじゃなくて壁があってですね、マイクがあって録音してる側とミキシングしてる側が別の部屋だったんですね。僕ともう一人ミキサーの小原(吉男)さんという人がいて、どうも小原さんが「涙声になってねえな」って言うんですよね(笑)。どうすれば良いのかな、と思ったら、涙が本当に鼻に詰まってくるってことが大事だから、そうしないと。台詞回しはすごくできてるんだけど、その台詞に最後足らないのは、そういう音としての鼻が詰まってると、そういうことなんだというのが分かるんですよ。でもどうしたらいいのって言ったら「簡単ですよ」って言って、他の人全部のんさんいるところから出しましょうって言って、のんちゃん一人にして。そしてその後、電気切りましょうって言って真っ暗にしちゃったんですよね。そして「しばらくしたら鼻に涙が入ってきますから」と。本当にそうだったんで。でもそれはさっきのんちゃんに聞いたら、それはそういう風になったことで、すごく集中できたって言ってたんだ。
のん なんか、泣くもんじゃないと思ってて。声だけで、技術で表現するもんなんだって思ってたんですよね。だからなんか本当に、集中して涙を出してやってたら、「そうじゃねえんだよ」って言われるのかなって思ってて(笑)。
一同 (笑)。
のん 実写じゃないんだからって馬鹿にされるって思い込んでいて。本当に、やってやるんだとそれで自覚しました。
片渕 それまではマイクの前で動いたりして怒られたりしてましたからね。「マイクの外に出てまーす」と言われたり(笑)。あのときはすずさんの身体の状況とのんちゃんの身体の状況が一致していくということが、すごく大事なんですね。


吉田 そこでひとつお聞きしたいんですが、なぜ泣いちゃダメだと思ってたんですか。
のん あ、その多分。あの動いたりとかもダメだったり、声だけの……、あの、何ですかね。テクニックで感情を出さないといけないなっていう風に勝手に思ってたんですね。
片渕 指向性の強いガンマイクでね、口元狙って録音してたんですよ。のんちゃんは、始めはマイクの前で結構色々動けると思って、最初のときはTシャツ着てジーパンで「動ける格好で来ましたー!」って言ってたんだけど(笑)、「あの動かないでくださーい」って言われてダメだったりして(笑)。のんちゃんは、声で芝居とかキャラ、人物を作り上げていくって、どういうことなのかって、すごく立ち向かいながらやってたというのがあってね。今言われてるのは終戦のところなんで、かなり後の方で録ってるんですよね。3回目ぐらいの録音の時でしたかね。スケジュールとしては4日なんですけど、一ヶ月ぐらいの間に、4日間使って録っててその3回目ぐらいのところで、ここでいちばんきっと、いろんなすずさんを演じることについて、いろんなものがのんちゃんの方で、のって来てるだろうから、いちばん充実してるところでそれを録ろうと思っていたんですね。で、その3日目のたぶんいちばん最後なんかだったんじゃないかな。3回目のあとには間隔、休みがあるから、ここでどんななっちゃってもいいやと思って、その3日目のいちばん早く録ることにしたんですよね。だからのんちゃんがそういう風にやってたんだなって、今わかったけど。やっぱりそういう風に気負って、頑張ってたってのがすごいよくわかりました。

のん ガチガチだったのは間違いないです(笑)。
片渕 ガチガチというか、色々自分でも挑戦しながら、ずっとすずさんのことを挑戦しながら。声で芝居することを挑戦しながらすずさんを演じてたっていうことなんですね。
吉田 すずさんは、前半でハゲができちゃいましたけど、のんさんはそういうことはなかったんですよね(笑)。
のん (笑)。それは、なかったですね。あそこのシーン、すごくおもしろかった。
吉田 でも今の片渕さんの作劇法にのってるわけだから、かなりのストレスのように見えますけど。
のん でも、本当に暗闇になると集中できたので、すごくいい状況を作ってくださってありがたかったです。
吉田 あの号泣も素晴らしいと思いましたけど、ただそこで言ってることが「米とか豆とかでできてるんだ私は」と叫ぶところなんですけど。なかなかそこが普通だと理解しにくいかなという風に思うので、そのへんの解説をちょっと片渕さんにしてもらえると。
片渕 そうですね。原作では我々の方も暴力を振るったから、暴力を振るわれても仕方がなかったんだっていうのをね、終戦の日になって気がつくっていうことだったんですけど。気がついてみると、すずさんは普通でいてくれって言われた哲の約束を破っていたことに、あのときに気がついてるはずなんですよね。彼女が何が自分の暴力とまでは言わないにしても、何をしてしまっていたのだろうっていうことに気がつく。何にだったら気がつけるだろうかなと思ったときに、彼女は毎日何やってたかなと思うと、毎日家事をやっていた。家事の中にもすでにそういう要素が入っていて。配給されてくるお米のうちの何十パーセントかは、国産ではない、海外の植民地化した地域から持ってきたところものだったりしたしたわけですよね。それからお米が足りないからもらってくる大豆なんかもそういうもので、中国のほうから持ってきたものだったりしてるわけですよね。そういう歴史的な事実があるなと思って、それをそういう風なら、すずさんが気がつけるかなと思って、そういう台詞にしてみたんですね。でもそう思うのと同時に、そういう歴史的な経緯があったってことを映画観た方が気がついていって頂いて、そういうことも歴史的にはあったんだなっていうことなんかを、新しくご自身の中に蓄えていって頂けるとよいかなという気持ちもありましたね。
吉田 片渕監督の解説を深く心に刻まないといけないと思うんですが、我々のごく日常的にやってる振る舞いも、他の人に大きな影響を与えてあるかもしれないっていうことだと思うんですよね。そういうその影響関係っていうのは戦前戦中戦後にかけてずっと繋がっているというメッセージ。
声高に言うメッセージではないですけど、ごく日常の中で色々な繋がりがあるのだっていうことはやっぱり意識しなくてはいけないっていう風に言ってるように聞こえるんですね。それを支えてるのが、呉という街を完全に再現してしまって、具体的な空間の中に架空のすずさんというキャラクターを置いて、そこに生活させた。その生活感に我々がリアリティを感じて感動するんだと思うんですよね。そこが、そこまで作り上げたっていう監督の執念がすごいなっていう風に思います。それはやっぱり世界に例を見ないような作り方をしてたんだろうなと、私は思うので。ここにいる人たちもそういう意味では見ることに肥えてると思うので、それを世界に発信していってもらえるといいのかなって思ったりします。発信していくという作業がメディア芸術祭の一つも仕事でもあると思うので。観た人たちもためらわずにそういう発信していってもらえると嬉しいなと個人的には思います。歴史が繋がっているというような作り方が最後にあると思うんですがその辺は、のんさんとしてはどうなんでしょうか。今の現代人から見て、あの時代と今が繋がってるという実感は作品を通して得られているんでしょうかね。
のん そうですね。すずさんという人が、作品の中にいて、もしかしたら今も生きてるかもしれないっていう風に思える、というか。なんか、あの時代を生きた人がいるんだっていうのが、感じられて。その、時代があって、今があるってのは、この映画で本当に実感が湧いてきた感じはしますね。本当に今まであんまりそういうものでなかった、目を背けていた部分があったので。すごく、今回の作品でリアルに感じました。
吉田 どうもありがとうございます。片渕さんどうでしょうか。
片渕 あちこちで言ってることなんですけどね。広島で上映した時にその後お客さんで若い女性の方から、すずさんの喋り方がうちのおばあちゃんとそっくりでした。でもおばあちゃんの喋り方なんだけども、若い娘さんの声だった。それがうちのおばあちゃんにも若い頃があったんだって、あんな娘時代があったんだって、すごくよくわかりました。その瞬間のんちゃんの広島弁がどれぐらいきちんとしていたか、僕もよく分かりましたしね(笑)。僕、広島出身じゃないから本当にどれぐらい広島県が再現できてたかって、自分ではわかんないところもあったし。
のん ちょっと、昔の広島弁だったんですよね。
片渕 そうそう。のんちゃんも、そうは言われても分からない所がありながら、僕らは手探りでやってたんですけど。方言指導の栩野(幸知)さんとかがそこは一生懸命教えてくださってたんだけど。でもそこが達成できてたんだなと思うのと同時にね、のんちゃんの声の芝居を通じて、その方のおばあさんが本当に若かった頃から、今に時間が繋がったんだなっていうのがね、それが演技の力なんだなと思うとすごく感慨深かったんです。そのあとLINEか何かですぐ連絡はしたんですが(笑)。
のん 嬉しかったですね。
吉田 そういう風に世界に繋がっていってもらえると、この映画もすごく意味があることになると思います。どんどん広めていっていただければと思います。時間的にはこのぐらいだと思うので、最後になにか一言あれば、のんさんどうですか。
のん これから、長いバージョンも長尺バージョンも作られていくので、もっともっといろんな方々に観ていただけるチャンスかなと思ってます。今回の映画は見てくださっている方も、すごく強い気持ちで応援してくださるので、制作者の一員かなと勝手に思ってるので、ぜひ一緒に広めてください! よろしくお願いします。
吉田 監督からも。
片渕 長くするのは今一生懸命頑張ってます(笑)。それはそれで自分達として頑張らなきゃいけないところなんですけど、と同時にもう公開からほとんど600日近くずっとずっとたくさんの映画館で上映してくださってて。しかも今度7月から8月にかけては、たくさんのいろんな地方のいろんな映画館で上映されることになってくんですね。広島県内だけで4館以上なんですね。またそんな風にして『この世界の片隅に』がこの夏になったら、たくさんの方々のところに、行きたい。
映画のほうが行きたい。映画館の方々はその事を助けてくださるっていうことがやってまいります。今日ひょっとして初めてご覧になった方いらっしゃいます? (手が挙がる)いらっしゃいますね。そうです、だからそういう方がもっとこれからたくさん増えていくチャンスがこの先にありますのでどうかよろしくお願いします。それが我々にとっては嬉しいことですし、それと同時にやっぱりそれがあの映画っていうものは、そうやって映画館で支えられて、もう出来上がってる映画っていうのはまだまだ頑張っていけることになると思いますので、是非よろしくお願いします。7月から8月にかけて、僕らもちょっと色々頑張ったりすると思います。どっかに出没するかもしれません(笑)。またよろしくお願いします。
一同 拍手

 

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