TAAF『この世界の片隅に』作品制作ノート&監督トークショーまとめ

2018年3月11日東京アニメアワードフェスティバル『この世界の片隅に』作品制作ノート&監督トークショーのまとめです。

・文責は私an-shidaにあります。

・本記事はメモを元にしたまとめです。音声おこしではありません。

・発言そのままではなく、筆者が文章の調整をしています。

・登壇者の発言の趣旨から外れないように努めました。

・公式から指示を受けた際は速やかに公開を中止します。

・「この世界の片隅に」の内容に触れています。

2018年3月11日 東京都池袋シネリーブルシアター1

登壇者 片渕須直監督 氷川竜介氏

 

片渕監督 本来は上映をするものだけど、他所でも上映継続中なのでトークショーに。最初の企画書は小黒祐一郎さんがまとめてくれた。

 

氷川 この企画書のデザインは知らないバージョン。企画書に文を寄せた当時は、震災後で世の中が暗かった。輪番停電などもやっていた。震災で当たり前の生活が崩れるときに『この世界の片隅に』は必要な作品。

監督 自分が最初に映画にすべきと思ったのは、料理のシーン。自分にとって大切だと思った。読んだのは2010年08月。8月6日には(プロデューサーの)丸山正雄さんに提案、でもまだ原作を読了していない。
 なぜご飯作ってるときにすずさんはニコニコしているのか、そんな人の上に爆弾が降り注ぐ、そのいたたまれなさ。戦争描く前に生活を描かないと、それは自分に関係ある物語だと。

氷川さん 「機微」というキーワードを推薦文に使った。たとえば夫婦は危機になることがある。ある人から夫婦について「わかろうとするな」「機微、それとなく察する」という趣旨のことを言われた。『この世界』は知らない人と夫婦になる作品で、結婚の経緯もあとから知って(周作さん、リンさんまわりのできごと)。ある人のエピソードで、見合いの席で「悪くない」と言っただけでそのまま話が進んだことがあって、そこも作品と似ている。そういうものを踏まえて(人の生活は)未来に続いていく、でも災害でそれが壊れてしまう。

 

監督 震災で生活が壊れてしまう、戦争中の生活を調べていくなかでそのことが重なった。戦時中、東京都の冷蔵庫に冷凍みかんイチゴの備蓄があった。
戦争は蒙る側からすると間違いなく来る災害、そういうときに人はどうするかそういうことを考えているうちに311が来てしまった。

 

【片渕監督のファイル芸もここから】

【戦争中の物資、当時の人がいる写真】

監督 18年銀座、ひざ丈スカートのおしゃれな女性。これは良くない例として載っている。他にも山本元帥死亡の時の百貨店展示を見る女学生、そのスカートも短い。じゃあモンペはどこに。そうやって調べていった。
【20年銀座空襲の消化活動。 20年3月空襲罹災窓口】

監督 そういうものを調べているときに311が起こる。日常が何かわかっていたつもりで上から震災が落ちてきた。(監督の)家の近くは直接の被害が少なかったが、スーパーから納豆がなくなったりそういう思いをしながら戦争中のすずさんを思い浮かべていた。他にもペットボトルの蓋もなくなった。

氷川 想像力ではなかなか追いつかないことがおこった。自販機の灯りが消えたりと、それだけで見慣れた街角が異世界のようになったり。その頃もう脚本を?

【シナリオのデータ映る】
監督 まずシナリオをやって時系列を明らかにしたうえで絵コンテをやると、自分の頭が異を唱える。それじゃダメだ、こうしたほうがいいじゃないかと。変更を加える。三段階ぐらいかかる。

【シナリオ 黒村キンヤ(径子の夫)はミートクロケット、径子カレーライスの文字】

監督 2011年6月28日にMAPPAのスタジオ入りした。犬OKのスタジオで、民家の畳の部屋。丸山さんが自分のマンションを犬不可で追い出されたのでスタジオに避難してきて僕らが追い出された(笑)。

 

氷川 シナリオについて。
監督 映像にしたとき良い流れになるように。最初はFパートまである。
氷川 普通はDくらいまで。テレビベースで二時間四パート。

監督 作品を作るにあたって120分を六分割する必要があった。1パート20分のつもりで+数分になっている。今のTVシリーズはわからないけど、僕らの頃は21分30秒とかの世界でそれに詰め込まないといけなかった。『この世界』は120分を超えてしまうとダメなので、それでリンさんまわりを切った。

氷川さん 私は『未来少年コナン』などの作品で、音だけのレコードを作る仕事をしていた。名場面を抜き出して片面30分に収める、モンスリーの結婚式で六歩歩くところを二歩にしたりと。だから尺に合わせる苦労はわかるかもしれない。

片渕監督 『ブラックラグーン』では、カット頭とカット尻を1コマずつ省く、でもそうすると映像のリズムが合わなくなる。そういうことをずっとやってきてそれはしんどいので映画だけやらせてほしいと丸山さんに訴えた。
 (『この世界』では)すずさんの生活、機微を描いてきたところから1コマ引くことはできない。1コマずつ引くことで壊れてしまうものがある、だからシークエンスごと落とした。丸山さんもそう思ってた。丸山さんもリンさんまわりを切るべきだと。ただ丸山さんは(その部分を)抜いて成立すると思っていただろうけど、でも僕は大事なところだから落とそうと思った。

 そうすると見た人が「なんであそこないんだ!」と声を上げるかもしれない(笑)。すずさんが料理するとこはしょりましょうとなると……。
氷川 そうすると映画の根本が崩れてしまう。

監督 料理とリンさんどっちを切るかとなったとして。料理と裁縫の大切さは僕が映像化しないとわかってもらえなんじゃないかという思いもあった。
氷川 リンさんまわりが最初からあったらヒットしなかった可能性もある。

監督 今は学校の授業での上映もやっていただいているが、リンさんのところがあるとそれはできなかったかもしれない。

 ただ子供向けにしたいから切るということでは、全くない。上映すると違う作品になってしまう。

 

 

【浦谷さんのイメージボード】
監督 ラジオの線がどうなってるのかという疑問も出てきた。
氷川さん ラジオ少年だったので気になります。電灯線がアンテナ線に?
片渕監督 それもあります。呉は九の嶺がある立地で電波が悪かった。*1 玉音放送のくだりでも描いている。そういえばコンテ1.5稿がある部分もあるんです。それでラジオは電灯線の他に天井から一本線を足してある。そういう仕組みをわかった上で映画を作ることで、すずさんが本当にほんとうらしくなるのかも。

氷川 そういった取捨選択を観客も受け取ってくれると思っている? それとも(あくまで)作り手として必要だから?

監督 細部、情報はあふれるほどあっていいと思う。私は子供のころから絵本が好きで、シンプルな情報を削ぎ落としたものもある一方で、安野光雅(「旅の絵本」など)「ウォーリーを探せ」のような周到に描かれていたものもとても好きで、それらはずっと見ていられる。映画もそういうものを目指したということはあるかもしれない。

氷川 (情報量が多いのは)リピーターが多い理由でもあるかもしれない。
監督 ディスクが売れるとは言った(笑)。

【クリスマスの飾り】

監督 クリスマスモールは経木を蛇腹みたいにして作られていた。
【立野玩具店、吉岡幸介ネル店、オカッパ県女一年生などのコンテ画像】
監督 オープニング入るまでで106.5秒、尺をもう気にしている。シナリオやりながらわからないものが出てくる。台所を絵にする、その中でまたわからないものが出てくる。
氷川 設定制作のようなこともやられている。
片渕 小春橋の上で妊娠かもと気づいてから病院まで、妊娠検査でわかるまで何日かかるか? それは詳しい人がいて調べてくれた。そういうことを三日ぐらいで解決して進む。広島まわりは中川さんという方に調べていただいた。
氷川 そういう応援は何人?
監督 3人くらい。フィールドワークの中川先生、軍人の手記の中川さんと中川さんが3人いた。手記から軍艦がどの作戦に参加してどこにいたかという位置を割り出している人で、手記を借りようとしたら条件があると。呉の空襲で亡くなった女学生(勤労動員中に被災)を出してくれと、でもそれは(作品にそのまま入れ込むのは)無理! なので駅前を行進するところを描いた。

 監督 駆逐艦椎から見えた街の灯り、灯火管制が終わった時のエピソード。それをこうの史代さんに言ったら、すずさんの家のモデルは祖母の家で、灯りの話をすると「うちのほうです」と。これも偶然。

 

 

 監督 こうの史代さんの知人の中川さんが海軍の録事でお話を聞いた(マンガの巻末にも名前有り)。周作さんと同じ仕事だから、中川さんが終戦間際に軍人にされる日を調べた(周作さんの出立日時確認のため)。中川さんの名前のある資料を持って行った、すると中川さんの友人の名前もあったということで、こうのさんからも「とてもよかった」と。おかげで正確な日がわかったので、周作の旅立ちの日を雨にできた。

 それがないと話が成り立たないかというと成り立つ、だけどその大きな違いをわかってもらえるか。

氷川さん 強度、裏打ち、厚みということでしょうか。「神は細部に宿る」というよく言われる言葉がありますが。黒澤明の伝説だと(映画には写らない)引き出しの下まで汚した話や’(劇中の)雑誌を実在のものにしないといけなかくて許諾が必要になったこともあったそうです。

監督 本多猪四郎監督の「空の大怪獣ラドン」を思い出す。劇中で福岡駅のまわりが吹き飛ぶんだけど、大学のとき○○君の家が飛んだのがわかった人がいた(笑)。

 

【すずさん起き上がる連続写真。浦谷さんがモデルで、次いで片渕監督の写真も」

監督 浦谷さんの動きを受けて自分が演出入れて芝居した。脚の上げ方早いとか、ものの持ち方。(キャラクターデザイン・作画監督の)松原秀典さんも輪をかけてこういう人。
氷川さん 実証主義
片渕監督 (松原さんも)家でやってみたらやっぱりおかしいとか言い出す。楠公飯を食べるときの箸の持ち方がそう。アニメだとそのまますっと箸を持つんだけど、それは現実にはできないと。(箸置きから箸を取ってご飯を食べられるように持つためには、箸を取ってから)持ち替えないといけないということであの芝居になった。箸の持ち方を男女で違う風に振り分けるのは僕が指示しました。

 

注:楠公飯の箸の芝居については下記の記事が詳しいです。

an-shida.hatenablog.com

 

 

監督 (資料を見ながら)スイカの持ち方や風呂敷の包み方。
氷川 僕はスイカはネットしか見たことなかった。そういう試みをしたものは逆に言うと、写真に残ってないということですね。

監督 マンガにはある芝居を、実際に動かして感じを出す。

【冒頭の石段(雁木)ですずさんが荷物を背負い直す場面の実演写真】

監督 海苔の缶も最初軽いと思ってたが、スタッフに海苔屋でバイトしてるやつがいて「重い」と(笑)。かなりこの手のことはやっている。

 東京大森で海苔も作った。わかったと思って帰ったら、江戸前海苔と広島海苔の製法が全然違うことに気づいた。簾の目が縦は江戸前、広島は横。さらに江戸前の(海苔をかけるはしご)は五段、こうのさんのマンガ(の最初のほう)は六段、広島は七段。こうのさんのは「波のうさぎ」では直っている。

 そういったこともアニメーションの動きに関わっている。(重いものをどう持つかということが)すずさんのバイタリティに関わってくる。

 

【天秤棒の写真、浦谷さんが実演】

監督 水がいっぱい入ってるけど持てる。持たないと揺れるよと栩野(幸知)さんに言われたりしたこともあった。本人は重がっていたけど、歩くぶんには腰が曲がったりはしない。
【わらじ教室】

監督 両手でやらないとできない作業なんだなと実感。あとはすずさんの着てる簑(ミノ)もめんどくさい。
 木口バッグをかけている釘、釘には網目あるのか。でも映画では見えない。
呉のマンホール調べたい。マンホールマニアの方に教えてもらったが映画では出てない。点にしか見えない。マンホールは戦前から使われてるものもある。東京でも調べてみたら、阿佐ヶ谷のマンホールにも東京府時代のものがあった(都のマークでなく東京府東京市のもの)。

氷川  過去が現在に置き換わるのでなく、過去が積層していくんてすよね。
監督 そうですねそうですね。

 

氷川 そういう実証主義的なものをどうやって作ろうと思うようになったんですか。
監督 『未来少年コナン』見て業界に入ろうと思ったが、大塚康生作品だと思っていた。2歳3ヶ月で『わんぱく王子の大蛇退治』ラストの大塚パートを映画館で見たので。

 大塚さんの出していた課題があって。ガード下の呑み屋でコップ酒持つ中年オヤジを描けという試験、コップの持ち方はこう五指で縁を上から鷲掴みのようにつまむ芝居でないとダメだと。パントマイマーの動きも参考にされていたけども、パントマイマーと観客(あるいはアニメーター)に共有するものがないと動きの意味がわからない。
 『この世界』はそれができないかもしれない。なぜなら我々は天秤棒持ったことないから。体感しないと先に進めないような気がすると思っていた。体験してないことを共有するのは大変なこと。

氷川 アニメはファンタジーだからそういう実際のことは不要と思う人が今でも多いかもしれない。

 

監督 すずさんが着物をもんぺに直すカット、あの直し方はダメなやり方(本当は一度反物に直してから改めてもんぺにする)。でも劇場で観ていた70代のおばあさんはわかった。径子さんのもんぺを覗き見するシーンを足したのも、目測ですずさんが着物を直そうとしたということがわかったから。 
監督 長尺版で二千馬力のエンジン作るお父さんを出したかったけどわからなかった。
氷川 終戦時に焼かれて残っていないのでは。
監督 その場所を進駐軍が利用していて、覚えている人もいるが調べきれなかった。エンジンの試作品の試運転してるところが欲しかったがわからなかった。 
氷川 他作品でも本当はこうでなかったと感じられるところがあることも。昔のものを現在の技術で再現しても違うし。音も違う。
監督 そのへんは(音響監督の)柴崎さんがなんとかしてくれるような。ところで劇中のB29は本物の音。でも自分たちがどれだけ信じることができるかどうかで、すずさんたちの世界の強度が変わってくると思う。

 

【雨の見え方は何コマごとにどれだけやれば本物らしく見えるかという図】
監督 雨の見え方も人間の目の分解能などについて考えてしまっている。人間の目に見える世界をアニメにするのかどうなのか。
氷川 昔した質問で(本当の世界ではないはずのカメラのレンズに)「カメラに血しぶきはつくか」。押井さんはつくという。
監督 『ブラックラグーン』はつけたけどあれはB級映画風であったからつけた。曳航弾は肉眼とカメラで全然違う、映像だとモーションブラーがレーザーのように長い。(肉眼の映像、カメラの映像の)どっちをとるかですずさんがどう見てるかという(作品そのものの)腰の位置、立ち位置の問題。自分たちがどう思うかというそこから入っていきたかった。
氷川 とはいえ映画中で統一されたルールがないとお客さんが困るかもしれない。
監督 ありとあらゆることですずさんの実在を感じたい。
氷川 温度や空気感については。
監督 気温は表現しにくい。円盤で画を更新、リテイクは200以上。寒さの表現として白い息を足した。


【すずさんの家(長ノ木)の話。家から出て鷺を追うシーンの再現動画】

監督 上を見ながら階段降りるってどういうこと? という松原さんの疑問実演動画。階段降りるときは下を見ながらという教科書的なものから離れられるか離れてよい場面なのか? それを確かめたかった。
【編み物の連続写真】

監督 (編み物は)アニメだとリピートしてるだけのことが多いけども、アニメーションの中に持ち込んでかたちにしないといけない。自分たちはやりなれてないことも彼らはやりなれている。鷺を追って心が鷺にとらわれているそういう走り。もっと簡単なやり方もあるけど。
氷川 その積み重ねが映画の重みや魅力になってると思いますが、達成度は? 
監督 ディスク化にあたってリテイクもしてるのであまり悔いはない。すずさんはいると思ってもいいと思えるように、自分たちが人物の背景を持たせたという意識があるから。
氷川 (達成度は)今までよりも高いところに行ったと。
監督 他の作品だと直したくなる気持ちがある。『マイマイ新子』は新子の登校時、コンクリの何かがあったんだけど、それがなんだかわからないまま映画にしてしまった。その小学校はアニメーターの金田伊功さんの母校だったんだけど、金田さんの同級生に聴くと「金田君はアヒル当番でコンクリのうえにアヒル小屋があった」と。それを描き足したくてそれをできたら想いを確かなものにできたのにと。
氷川 次回作については。
監督 もう一回こういうアプローチしたい。完全なファンタジーでなくて、行くことができない場所を作り上げていきたい。自分の目で描きたい。
氷川 いつ頃ですか。
監督 2021年がマッパ10周年だけどそれよりは早くしたい。
氷川 2025年は昭和100年だからそういう仕事もくるのでは?
監督 今までの蓄積あるのでできるかもしれないけど、違う世界にも惹かれる。アニメーションの世界に入ったのもそうなのかもしれない。空想の場所に行きたいという想いがあったかもしれない。自分はその気持ちは外してはいないとおもう。
氷川 (「ここではないどこかへ」について言及あり。他メモしそこない)

 

【質問コーナー】

質問者 初見時テンポが早く感じた。先程尺調整のために1コマ落とす話があったがそれの名残みたいなもの?
監督 それもあるかもしれない。テレビシリーズだとまた息づかいが違う。原作は1話ごとに必ずオチがつく、それはこうのさんが四コマ長かったから、その癖だそう。映画ではエピソードを分断しないようにして、ひとつながりの時間と空間の中にすずさんがいてほしかったという想いがあった。

 でもこんなに切ってない作品は初めてかも。オチがありつつも次の話が入り込んでくるようなひと続き。

 

氷川 最後に一言お願いします。授賞は今いくつくらいですか?

監督 賞の数が50を超えてもう数えられないぐらい。でも一つ一つ異なった観点で賞を頂いているんだなと。アニメアワードもそうで、観ている人には色々なことを感じてもらえればいいなと。上映も続いていてできればこれからも続いてほしい。すずさんの実在感を映画館で感じてもらえるように作った。
 大きな画面の中に小さいすずさんがいて周りの自然や鳥がいてという風に作っているのでぜひそれを体験してほしい。

 

f:id:an-shida:20180311220940j:plain

*1:ここの項、不正確かもしれません