【未完成だがここに草稿を残す】
田中裕太演出は面白い!
でもその魅力とはなんだろうか?
そもそも田中演出ってどんなもの?
いくつか特徴的で有名なものをあげてみる。
多分いちばん有名なワンシーンのひとつ(※)(歌を引き立たせる点に加えて、2D格闘ゲーム的な殺陣も田中演出の特色のひとつ)。
※「ドキドキプリキュア こころをこめて」で検索するとどこかに何かあるかも。
また、構図が印象的で「おっ」と目を惹くものが多い。
例えばこの辺も面白い(『スイートプリキュア』23話)。
この猫と小さなキャラ(ハミィとフェアリートーン)は人物と身長差がある為、このような画面構成になっているというのが理由のひとつ。
引きの画も印象的なことが多い。
手前のキャラはとても小さいので、ふだん人間と会話するときは、だれかの肩に乗ったり浮いたりすることが多いがこれは違って目を引くと同時に、「何を話しているのだろう」と人を惹きつける。
例で上げたような構図で描かれるのは、新鮮で、単調さを回避している(プリキュア以外のシリーズでも背景美術がよく見えるような構図を取ることが多い)。
今回は来年の新シリーズの予想がメインなので、ざっとポイントを羅列すると
印象的なレイアウト・アングル。
攻撃のギミックが独創的。
挿入歌が盛り上げるアクションシーン。コメディの楽しさ
メインもサブもキャラが生き生きしている、などなど*1。
確かにそのとおりかもしれない。
でもこれはどこからきたものだろうか?
どんなバックグラウンドがあるのだろうか?
そこで田中監督のtwitter(タナカリオン @tanakarion)を長年愛読してきた筆者が、考えてきたことを紹介したい。
情報源がtwitterしかなくtwilogへの登録もされていないようなのでほぼほぼ記憶に頼って検索して書いてます(あーこんなこと仰ってたな→検索、の繰り返し)。
おもちゃ力とみんな力
1.おもちゃ力!
ツイートを拝見してると、とにかくおもちゃで遊んでいる。
田中裕太監督 玩具の賦 2014 - Togetterまとめ
いやー遊んだ遊んだ。満足。早くサニーとマーチも来ないかなー。 pic.twitter.com/7sCzBrWclp
— タナカリオン (@tanakarion) 2014, 2月 3
そしてこの笑顔。
これには並々ならない作品愛もあるが、映像にもその個性が強く出ている。
いくつか例を挙げてみる。
炎をまとったキック『スマイルプリキュア!』15話(炎を使うキャラだが、バンク必殺技はバレーのアタックで、田中演出のこの話数ではオリジナリティをもってイメージを展開させている。)
『スマイル』43話より氷のシールド。これも挿入歌が印象的なバトルシーンだが、他にも両手剣や、氷をまとった髪などイメージを拡張したゲーム的な技がでてきて、氷を自在に使うという活き活きとした実在感を感じさせる。
ドキドキでは、バンクの画を逆さにするという印象的で珍しい演出があった。
このキュアロゼッタは普段手でクローバーのマークを作るのだが、上下逆にするとハートに見えて、しかもそれが台詞の「愛」にかかっているという見事なものになっている。彼にとってアニメのキャラは自分の隣にいて生き生きと飛んだり跳ねたりするものに違いない。
そして、属性を元に色々な技を繰り出したり、バンクを逆さにする発想の源泉のひとつが「おもちゃ遊び」ではないか。
また、アクションのためのアクションではなく、強い気持ち、またはテーマを示すときに使われることで、話とキャラ両方が強く印象に残る。さっきの「炎のキック」も友達の大切なものを敵に笑われて、静かに怒り、まさにその時に新しい技を使うことで、怒りの気持ちとアクションをより印象強くしている。
ある感情を強調するという演出方法は様々である。
そこにこういうおもちゃ的、ゲーム的、ガジェット的(巧い表現がない……)な動きが入るのが田中演出っぽさのひとつだと思う。
そして挿入歌については田中監督が演出助手を務められていた頃の体験が強かったようだ。
過去のツイートにはこうある。
555の18話といえば、大塚さんと二人で実際の「ツインテールの魔法」のレコーディングを取材させてもらったのは良い思い出。アフレコとはまた違う、歌のレコーディングという現場は今もってなかなかに貴重な体験でございました。懐かしいなー。
— タナカリオン (@tanakarion) 2012, 11月 22
それぞれのシリーズ挿入歌も大変積極的に聴かれている上にキャラクター性まで踏み込んだ考察をされている*2
2.みんな力!
キャラに対しても、スタッフに対しても全員の魅力、よさを活かしたい、というお考えのツイートを何度か拝見した。
思想の根本になるなと思ったツイートがこちら。
「どんな脚本が来ようとも最終的な評価は演出のせいになるんだよ。だから内容を良くするためには何でもやる。その変わりその責任を取る。だからEDテロップってのは最初に脚本の名前が出て最後に演出の名前が出るんだ」と、昔、某先輩から教わりました。なるほどと思いました。
— タナカリオン (@tanakarion) 2014, 2月 10
アニメの工程の中で、脚本はたびたび改変されるというエピソードはよく耳にするが、こういう考え方は健全で素晴らしいと思う。*3。
先に上げた引きの構図には柱や建物がアクセントとして入ってくることが多い。
これは細田守演出の分岐点のような暗喩や、庵野演出の電線のように「漠然とした不安感」のような強い性格がないことのほうが多いように思う。
『時をかける少女』より。ヒロインと2人の男性キャラと分岐の交差点。細田演出で何度か見られた隠喩だが、田中演出ではここまで主張が強くないものの方が多い。
そこで最近のものだけどこのツイート。
素晴らしい作画の動きで感動できるように、力のある美術さんが描いた本気の背景は、データを開いた瞬間圧倒されるほど美しくて感動する事もあるんやで…。
— タナカリオン (@tanakarion) 2015, 1月 4
純粋な演出効果は勿論だけど、そこには 背景をよく見てほしいという気持ちと、キャラを色んなところに置きたい(=作品世界の中で生きている)という考えが底流にあるように感じられた。
また、田中監督は「拾う」という言葉を使われる。シリーズの中で 他の演出家の回の事柄でも、いいと思ったものはどんどん自分の回に生かしていきたい、という気持ちが強いようだ。
でも放送後、作画のおともだちから「あれ超良かったよ」と言われて救われた。今ではやってよかったと思いますヘアギター。でもその後誰も拾ってくれなかったから結局自分で拾った。
— タナカリオン (@tanakarion) 2013, 9月 10
ヘアギターについてはこちら。
これは、作品世界に愛着を持てる条件のひとつだと思う。
プリキュアシリーズは1話完結なので、どんどん新しいキャラを出して世界を広げるアプローチもあるし、同じキャラを複数回出すことで世界に奥行きを持たせることもあって、田中監督は後者のイメージが個人的に強い。
そして、その世界は暖かく、サブキャラ一人一人にも光を当てている。
サブキャラについての発言。
『スマイル』に出てきたぽっちゃり系クラスメイト宗元君。とても出番は少ないがサブキャラに対してどこかで活躍してほしいと思っていたことが伺える。
山岡さん作監回で喋って動く宗元くんが見られただけで個人的にはもうスマイルのクラスメイトには思い残す事は何もありません。
— タナカリオン (@tanakarion) 2012, 10月 7
こんなツイートも。
個人的にはさらに遡ってどれみシリーズのクラスメートなんかがその最たる好例ですかね。ドッカーンくらいになってくると、教室シーンの後ろで写ってるキャラの大半にメインゲスト扱いの話があったという…。さすがに1年シリーズじゃそこまでは難しいですけど。
— タナカリオン (@tanakarion) 2013, 11月 18
ここで大事なのは、こういう考え方を持った方が一年を通してシリーズディレクターとして作品をつくっていくということで、これが初監督なのだからここはもう迷わず初体験してほしい!
というわけで、新シリーズ『GO!プリンセスプリキュア』は
○キャラがどんどん膨らむ(サブキャラも)
○アイテム=おもちゃが生き生きと展開する
と今ここで予想しておきたい。
おもちゃ好きな監督は、ちびっ子の心も魅了してくれるはずだ。
2月1日、田中裕太の大きな一歩が始まるのだと思う。
一年間、ただひたすら日曜の朝を待つことができる喜びを多くの人と分け合いたい、一緒に楽しみたい。
最後に、辛い時にもユーモア溢れる田中監督のツイートでエントリを閉じたい。僕はこれ以上楽しい「守りたい、この笑顔」の使い方を未だ知らない。
偉い人から生暖かい笑顔でコンテの催促が。笑顔が消えない内になんとかしないと。守りたい、この笑顔。
— タナカリオン (@tanakarion) 2012, 10月 2
頑張れ! タナカリオン!!
*1:他の演出家の話数にこれが欠けているということでは全然なく、あくまで特徴のひとつだと考えています。本エントリはただ田中裕太の魅力を語りたいだけで、その他のことを否定する意図は全くありません
*2:特撮愛、アニメ愛が感じられる。改めて原曲を聴いてみるとなるほどー、と思う。タナカリオン on Twitter: "100%ヒーローって、本当は宮内タカユキあたりが歌ってる渋熱い特撮ソングをやよいがカラオケで熱唱してると仮定して聴いてみるとフフってなる。しかもヒトカラ。" 試聴4曲目スマイルプリキュア! ボーカルアルバム1
*3:アニメは集団作業であり、だれか一人の手柄でもないかもしれないし、だれか一人の失策でもないかもしれないということは自分も常に念頭に置いて発言しているので本エントリについても、田中監督のアイディアでないところもあると思いながら書いている。あるホルン奏者の言葉をちょっと引用しておきたい「交響曲のある場面で私が巧く吹くと『指揮者がよい指揮をした』となります。そして私が失敗すると『ホルンが良くなかった』と言われる。これはどういうことですか(笑)」