山田尚子、京都アニメーションの今後10年はどうなるのか~『聲の形』公開前に
山田尚子監督作品『聲の形』について試写会レポートが上がっていて薄目と細目でちらっと見たところ、出来はともかく自分の考えていたようになってきたようなのでつらつら書いてみる。自分はまだ観てない。
原作のテーマについて意見を書くのでやはり鑑賞前に読むのはおすすめしないです。
本題、あるいは個人的な問い
山田尚子は『聲の形』に出てくる悪意や疎外といったテーマ、そして様々なマンガ的技法をアニメに翻訳することに興味があるのだろうか? もしNoなら原作から大きく離れてしまうのではないか? そしてそれは受け入れられるのか?
京都アニメーションについての引用
京都アニメーションで強く感じられるのは「原作を無邪気に変えてしまう」ことだ。
アニメスタイル007の花田十輝インタビューでは『響け!ユーフォニアム』5話の身体検査のシーンと各キャラクターの胸の大きさを、石原監督や山田氏がわりと和気あいあいの雰囲気で検討した話が出ている。
自分はこれに強く違和感を覚える。
胸の大きさに悩む久美子が描かれていたが、そのふるまいがアニメアニメしてること以前に、そのシーンを描いてしまった久美子は既に原作から離れてしまっている。自分の身体に軽いコンプレックスを感じてヨヨヨと泣くようなコメディぽいシーンはない。
オリジナルを入れるなという意味ではなく等身大の少女がいくぶんアニメっぽい女の子に変わってしまうということだ。
そういった新しいエピソードを挿入することで全体の印象が変わってきてしまう。リアルな少年が悩むのとアニメアニメしいキャラクターが悩むのは、同じ問題を相手にしていても、確実にちがう。
そんなに簡単に変えてしまっていいのか。全体と細部との整合性は取れると踏んでいるのか、そこに差異はないと考えているのか。
また、インタビュー中では人物を「アニメキャラに寄せる」という印象があったと花田氏は語っている。等身大の学生からアニメっぽいキャラに近づけるような芝居や振る舞いが多めにあったということだろう。
前項を受けて~原作を改変するかしないか
原作へのアプローチについては
1、原作どおりで進めていく
2、何かの都合で変えなければならない
3、変えたほうがよいという信念があって変える
の三つが作品ごとに作家ごとに混ざり合うのが普通だろう。
基本的に原作には原作ファンがいて、それを不用意に変えれば、原作ファンはそっぽを向いてしまうというデメリットがある。
好きな言葉ではないが原作レイプという言い方もあるほどにそういった「独走」を嫌う人はいるだろう。それで作品単独で面白かったりすると議論が盛んになったりする。
だが後述する京都アニメーションの作品は、実にあっけらかんと、まるでそうすることが当然のように変容して原作から離れていったのだ。
アニメっぽくするのは意識的?
京都アニメーションの作品のいくつかは明らかに、1~3のうちどれでもない「なんかよくわからないけどアニメアニメした方向に寄せていく」という傾向がある。
筆者にとっては『響け!ユーフォニアム』『氷菓』が特に記憶に残っている。
前者は原作が関西弁でアニメが標準語ということもあるので原作との違いはただでさえ大きい。
今は後者について述べる。
『氷菓』はかなりアニメアニメしいアニメになっている。
特に主人公折木奉太郎とヒロイン千反田えるはかなりラノベ風というか、いまどきのアニメ風に変わっていた。台詞は同じでも、画の芝居などがそういう感じに思わせるものだった。
「氷菓」の原作はライトノベルではない。それは本の体裁もそうだし、原作者米村穂信もそういう意識では書いていないだろう。
私が読んだ感想は「ジュブナイル」「青春小説」だった。作中「女帝」とされる入須もあくまで学生の枠の中での「女帝」であってアニメでみられたような無敵な印象ではなかった。
自分はそれらを楽しくも感じ、違和感もありながらも基本的には面白がって観た。
ただ、作品の最後、えるが原作と同じように、自分の生き方と故郷を語るシーン。
その美しくリアリティのある風景とともに、それまでアニメアニメしいちょっと変わった子だった彼女が急に生身の人間になったような違和感があって、私は戸惑った。
シリーズの視聴中、アニメはテイストが違うなあと思って、チューニングを合わせて(アニメのえるはこんな感じの子として)いたところ、ラスト急速に原作に寄っていったので、私は驚いたのだった。おそらくスタッフはそこに差異はないと見たのか、無視できると踏んだのか、いずれにせよ、ネットでざっと見た感じでは好評なまま最終回を終えたように見えた。
宮崎駿も原作を変えるエピソードがよくみられるが「こうしたほうが面白いんだ」という信念が感じられるように思える(優劣はともかくしばしば原作とは乖離している)。
一方、京アニの諸作はそういうイデオロギー響きはあまり聞こえてこないし、先ほどの身体検査の話のように、ナチュラルにアニメに寄せていっているような印象がある。
※単に自分がそういうインタビューなどを読み逃しているだけなのかもしれないが。
ここで『氷菓』放映時の自分のツイート。言ってることはこの記事とだいたい同じ。
氷菓
— an_shida (@an_shida) 2013年1月12日
オタク的思考で文芸作品を読み替えてしまった問題作。宮崎駿のように信念を持って改変するというよりも、「素」のままでやってしまったような。サブカルチャーがメインカルチャーにとってかわった瞬間なのか、単なる勘違いなのか。そしてそれが受け入れられた2012年。#otaku2012
山田尚子個人にもそういう京都アニメーションの作風があるのか、ということは断定しにくい。山田監督に限らず京アニ作品を観るときに少し身構える自分がいる。フリーフォールのように原作とアニメの乖離の風圧を感じそうで。
『聲の形』と山田尚子はマッチングするのか?
すごく長い前置きだけども、そういうナチュラルに作品を変えてしまう性質があったとして、それが上手く機能する作品としない作品がある。作品に「遊び」とか「幅」があるとも言える。
そして山田尚子監督自信の個性もすごく気になっていた。『けいおん!』もやはり原作とは違うし、それがやっぱりナチュラルになるべくしてそうなったような気がずっとしていた。そういう作家性なのだろうと思っていた。
山田尚子は「悪意」と「アクション」が描けるのか?
これはずっと気になっていて後者の『氷菓』の14話「ワイルド・ファイア」においてもテンポよく進められそうなところを、とてもとても丁寧に描いていたのを覚えている。
料理対決をする中で材料が足らずタイムアップが迫っていて、人に呼ばれて校舎まで駆け寄り、材料を受け取るシーン。
パンパンパンとテンポよくカットを重ねていけばスピーディな展開になったろうが、たっぷりと時間を取って描いている。
ここは時間に追われているシーンなので、芝居を丁寧に描いた結果、里志が慌てていないようにも見える。
そういう表現を志向していない、あるいはここで描きたい大事なものはそういうスピーディな映像とは違うということなのだと思う。
「悪意」についてもおどろおどろしいものや醜いものが描けるかという問いではなく、そもそもその方面のアンテナや、それらへの志向があるのだろうか?という疑問だ。
再度、個人的な問い
山田尚子は『聲の形』に出てくる悪意や疎外といったテーマ、そして様々なマンガ的技法をアニメに翻訳することに興味があるのだろうか? もしNoなら原作から大きく離れてしまうのではないか? そしてそれは受け入れられるのか?
どんなジャンルでもできる作家とそうでない作家がいて山田尚子は後者だと思うというところだ。
近年は監督の個性と作品がマッチした製作が行われることが多いと思う。たとえば出崎監督の『劇場版Air』のような冒険的な作品は少ないと思う。でもクリエイターはどんな天才でもピッチャー、キャッチャー、ショートを全部務められないし、すべての楽器の協奏曲を一人で書き上げることも普通はできない。
山田尚子のやりたいこと、任せてみんなが幸せになるもの、京都アニメーションが実力を発揮し、評価され、愛される作品って何なのか。
そういったものを見極めていきたいと思う。できれば皆が幸せであってほしい。人生の大きな時間をかけて作品を作り、それよりは幾分小さな時間をかけてそれを観るのだから。
言わずもがなの追記
山田監督が「聲の形」を理解できていないという意味ではない。原作ファンと視点が違うのかもしれない、ということだ。ただそれが悪いということではなく、まっとうなあたりまえの受け止め方、見え方しかしないとしたら、その人は、際立った作品が作れないのではないか、とも思う。
彼女は際立った作品を作った。その個性も明らかだ、そしてその独自の視点は作品のファンとコンフリクトするんでないか、という話。
自分は「聲の形」は【障害者に出くわしたことで関わった人の人生に変化があって、そのことを踏まえて未来へ歩む話】だと認識しているので、それがどのように表現されるか、公開が待ち遠しい。
田中裕太監督ありがとう!~『Go!プリンセスプリキュア』最終回に寄せて
明日、ゴープリが終わります。
2015年1月31日、『GO!プリンセスプリキュア』が最終回を迎えます。
自分の知る範囲で感想を見る限りとても好評だったと思う。
自分も田中裕太ファンとしてとても楽しみに観た。
思えば『スイートプリキュア』の30話、クイズ回で初めて気になって(震災の年、あの明るさはとてもありがたかったのを覚えている)それからファンを続けてきてついにシリーズディレクターとして腕を振るう。
それは、幸せすぎる未来だった。
1年前は
予告を観ただけで期待感溢れてこんなツイートもした。プリキュアで大活躍されているライターのぽろり春草さんにRTしてもらったの嬉しかった記憶。
ここ溢れ出る田中裕太感。鏡の角度のちょっと嘘な所も、隣のベッドの脚まで構図に入れるところも!楽しみすぎる!#precure
『Go!プリンセスプリキュア』予告~
http://t.co/aJbPuvSBAr @YouTubeから pic.twitter.com/IuZFygrsZU
— an_shida (@an_shida) 2014, 12月 28
ささやかですが1年前にこんな記事を書いた。
ざっくりとした予想は「サブキャラが立って活き活きとして、アイテムや技の展開もイメージ豊かに膨らむ」というものでした。
放映が始まって~夢の1年
ファンの自分にとっては嘘みたいな1年でしたが、アニメじゃないじゃないし、ホントのことなので、嘘つながりで、田中裕太監督のエイプリルフールジョークを引用させて頂きたい。
社内を歩いてたら原作の東堂いづみさんとすれ違いました。
— タナカリオン (@tanakarion) 2012, 3月 31
これには大塚隆史監督も唸った。
ところで、1年前は上のような予想をしたわけだけど、おおむねそのとおりになったと思う。きらびやかでサブキャラひとりひとりが愛らしく(でも、どぎつすぎない、上品さのある)よいシリーズになったと思う。
アイテムのギミックについては、当初自分が想定していたよりは大人しかったかなと思うけども、バンクの前後に変化を入れたり、工夫をしたアクションや流れで、観る人を楽しませようとする意志は随所で感じたので、振り返ってみても充実感が高いと思う。
たとえば、田中裕太コンテ鎌谷悠演出の39話。
「プリキュア・リィス・トルビヨン」を上に放ちユリの花びらが舞う変奏。
普段はこんな感じ。
やっぱり頭の中でいつもキャラが、技が動いてるんだろうなあと感じた。
サブキャラについても、台詞がなくても、その話数で特に言及無くても「そこに生きている」わけで、カットにいることが多かったと思う。
例えば22話。全員集合的で分かりやすいところではあるけれど、他にもチョイチョイ出るキャラが「画面の外にもちゃんと生きている」ことを感じさせていたと思う。
スタッフ皆さんありがとう
[壁]ω・`)… pic.twitter.com/Z8X1OjipFb
— タナカリオン (@tanakarion) 2014, 12月 26
ところで冒頭の聖剣伝説画像はこれ。SD発表時のツイート。
一度ゴープリの為プリキュアチームから外れて、準備をしつつも『マジンボーン』では愉快なルークさんのゆかいぶりを加速させながら、そして戻って来た。田中監督の画像芸も自分は好きだけど、これは特に強烈に印象に残っている。
スタッフへの信頼と尊敬はいつもツイートで見ることができるが
「俺たちの」シリーズを貼っておきたい。
最終回予想
また芸がないくらい順当だけども
○キャラ総出演(全員出ると思います。全員!)
○挿入歌3曲以上! 「Primal Place」と「ストリングス」は本命二重丸(筆者調べ)
になると思います、多分。
夢は未来への道
1年間、面白い作品を作ってくれてありがとう。
そんな気持ちで明日を迎えます。
ありがとう、タナカリオン! また逢う日まで、タナカリオン!
最後はタナカリオン先生の「また来週」ツイートを引用しつつ
最後の「また来週」を心に刻んで明日を待ちたい。
また来週。 pic.twitter.com/xyb1Hghavh
— タナカリオン (@tanakarion) 2015, 4月 12
自分はこんなにぬるいぜというリスト
最近「~でお手伝いをしています」と自己紹介すると「それは相当お詳しいんでしょうね」と言われることが増えました。
自分の本があるでもなく、twitterでも一番RTされたのがこれ。
「ゲームしながら歩かないで下さい! anotherなら死んでいますよー!」 #c82 #コミケスタッフ名言集
— an_shida (@an_shida) 2012, 8月 9
これは大喜利だと思っていたので創作です。ほんとにそう言ってる人がいたかもしれませんが。
というわけなので、得体の知れない感じはあるのかと思う。
ところで、私のお手伝い先はそれはマニアックで知られるところなので、「黒森峰から来たんですか、それはお強いんでしょうね」みたいな反応をされるのがこっぱずかしかったので、ここに「名作、必見作と言われてるのにかかわらず観てないリスト」を記し、その誤解がささやかに解ければいいなと思う。
単に見なきゃいけないリストを作ったともいえる。
『哀しみのベラドンナ』しょっぱなからこれ観てないの感全開。たまに観たようなていで喋っているのとか本当にどうかと思う(「山田尚子さんはベラドンナに強い影響受けてるとお話しされてたから、そういう表現主義みたいなのも観てみたいですね」等)。そのときのイメージ画像はこれである。ベラドンナだけでイメージしてるんですね。オールナイトで2度くらい寝過ごしたのは覚えてます。
『御先祖様万々歳!』 『銀河鉄道999[劇場]』『少女革命ウテナ[TV]』『長靴をはいた猫』『くもとちゅうりっぷ』『どうぶつ宝島』『わんわん忠臣蔵』『エースをねらえ!』『ベルサイユのばら』『妖獣都市』『化物語』『きまぐれオレンジ☆ロード あの日にかえりたい』『太陽の王子 ホルスの大冒険』
『NARUTO』(全話観てない!)
と、惨憺たる感じである。
他にも『銀河鉄道の夜』は6歳の時に秋田県本荘市の映画館で観たっきりでこれを観たといえるのか相当怪しい。
これを2011年に読んで「観よう!」と思って5年近く経ってもクリアしてないというこのぬるさっぷり。自分でもいかんと思う。
『桃太郎 海の神兵』とかは2回観てたりとかするので自分でもよう分からない。
いよいよ明日!「話数単位で選ぶ、TVアニメ10選」を語る会@新宿
いよいよ明日なので、ちょっと覚え書き。
イベント概要!
●2016年1月11日(月) 「話数単位で選ぶ、TVアニメ10選」を語る会(新宿ネイキッドロフト)
OPEN 11:30/ START 12:00
前売 ¥1200 / 当日 ¥1500(共に飲食別)
【出演】
karimikarimi、新米小僧、tatsu2、西尾西男、まっつね、やし
【司会】
藤津亮太(アニメ評論家)
一覧表!(間違ってたらすみません)
⇒案の定間違ってたので取り急ぎ直します。失礼致しました。またご指摘頂きありがとうございました。
2015年に劇場で観た映画面白かったもの羅列&一言コメント
適切な画像がないので、ぬいぐるみ置いときます。
ベイマックス
2回目は年明けてから観た。日本のアニメはもうだめだ~みたいな変なネット意見見たな。
劇場版 蒼き鋼のアルペジオ アルス・ノヴァ DC
面白かったし、引きがまた素晴らしい。
いちおうSFクラスタ、SFファンのつもりではあるけどシンプルに面白かったと思っていたらSF界隈からの評判が結構あれだったので厳しいなあと思った。
時折、ふっと本当に「神戸在住」だった。木村紺にはのびのび一作描き上げてほしいけど、どうも神戸在住のファンが求めるものと本人の描きたい物があまり一致していない印象を受ける。
花とアリス殺人事件
すんごい面白かった。岩井俊二の実写で「これはユーモアなのか?」と戸惑うようなところがあったのだけど、そういうの全然なくて楽しめた。平泉成の兼ね役はんん?となって困った。
映画プリキュアオールスターズ 春のカーニバル♪
見どころがないとは言わないが厳しかった。本当に東映なのかという思いがあった。
バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)
面白かった。最後の解釈については色々あるなあぐらいの印象。どっちにも取れそうなものについてはあまり深く考えないことにしている近年。
百日紅 ~Miss HOKUSAI~
面白かった。原作知ってるせいか、エピソードごとの繋ぎがシンプルすぎるというのはあまり気にならなかったが、それはバイアスなのかなあと思った。最後の映像は、どうなのかなというか、そのまま過ぎて少なくとも感動はなかった。舞台については自明であったし、これが外国なら違う感慨があったかもしれない。どこが一言だ!
ここから6月。ようやく映画を観る余裕ができてきた新年度の3カ月目。
マッドマックス 怒りのデス・ロード
面白かった。女性性についてのインテリジェントでジェントルメンな視点が印象的だった。日本はまだまだこのへんあれだよなあとは思う、ネットでもそうだが、現実での40代以上男性の発言行動に?????はすごい多い。
原作大好き、女優はあんまり。でも女優が好きになるぐらい素敵で、淡々としながらも美しく素晴らしかった。ところで江の島は数々の作品舞台になり思い入れ補正が強すぎる。宇宙漂流して最後に江の島につくオチの映画観たら感動するかもしれない。
ラブライブ!The School Idol Movie
観応えのあるところと、チャレンジなところと、?なところ。こういうごつごつした作品、最近なかなかない感じ。2000年前後からゼロ年代まではそういうアニメ多かった気もしている。
弱虫ペダル Re:ROAD
総集編に近いものだったが大変楽しめた。レース佳境の展開(デッドヒート・回想の繰り返し)はかなりTVのときに気になっていたが、総集編で上手くまとめてあってもやはりまだ気になるところではあった。ところで観客で男性は自分だけだった。
台風のノルダ
若い監督のチャレンジングな作品。ストーリーに難ありという感想を多く目にしたが、どちらかというと企画からもう厳しかったのかとも思う。このストーリーと設定で新味を出すのも難しいように思えた。
インサイドヘッド
世評高かったが、自分は正直のれなかった。言語化はしていないが、ヨロコビの「アメリカン」な態度が鼻についたのかもしれない。鼻はなかったが。
バケモノの子
細田作品で2回観なかったのは初めて。テーマに親近感はあったがあまり足を運びたいという気持ちにならなかった。
劇場版 弱虫ペダル
ギャグシーンが相変わらず面白かったがネットの評判はあんまり。キャラの個性でレースを戦うよりはレースそのものの面白さがもう少しバリエーションや戦術性があってほしいと思うが、それは原作の資質だろうか。
日本のいちばん長い日
本木雅弘と松坂桃李が強く印象に残った。あと関係ないが「母と暮らせば」の二宮和也の芝居も予告編で観て唸った。
心が叫びたがってるんだ。
天地無用!が凄い動いてる。というのが最初の感想。田中将賀画を堪能しきった。某所で『とらドラ!』との関連性を拝聴して、これもまた唸った。なるほどの嵐。作品自体もとても好ましく思った。『キュートランスフォーマー』の藤原啓治と細谷佳正の印象を引きずりながら観たので、途中途中夢から醒めるように観た。
映画Go!プリンセスプリキュア Go!Go!!豪華3本立て!!!
充分に楽しんだ。
ギャラクシー街道
ロッキーホラーショーみたいで面白かったよ! ただし無自覚だが。ガルパンの女性性の無視は敢えてだと思うが、これは無自覚なので厳しい。舞台でやってれば役者のノリと、その場でやってる感じがあってまだ持つのかも知れない。「ごっつええ感じ」のコントも現在若手芸人がやれば受け入れられるものではないだろうが、そのノリを感じてしまう。清州会議はまだ舞台でやれば、との思いがあったがこれは正味厳しかった。特に最後歌うところ、映画と舞台の違いを痛快なほど無視してるのはどういう制作感覚なのかも気になった。
劇場版 蒼き鋼のアルペジオ アルス・ノヴァ Cadenza
大変満足。印象に強く残ったのは後半のダイアローグでノイズの走るところ。感動した。それとミョウコウ型の紹介をしながらも作品が全く停滞しないところ、ストーリーテリングの見事さに唸った。
リトルウィッチアカデミア 魔法仕掛けのパレード
楽しめた。上田麗奈の演技が印象に残った。
ガールズ&パンツァー 劇場版
楽しめた。女性性のスルーと、ラストの島田流の殺陣による無双が記憶に残る。
恋人たち
鬱というものがあって、その中から語ろうとする意志に親近感を感じた。淡々としたまま終わりでなく、ほんの少しのほんの少しの光を見出す作法が印象に残った。
亜人
普通に楽しめた。普通にというところに、ここまで来たんだなあという感慨を感じた。
大塚芳忠が、元気に芝居をし続けるということはありがたいなあと最近声を聞くたびに思う。
なんかもうちょっと観てると思うんだけど、思い出せないので終了。
【追記】
ジュピター
思い出したので追記。最初は壮大な話かなあと思ってたらどんどんあれ?な方向に陳腐化して終わって驚いた。ところでジュピターで最も面白かったのは敬愛する磨伸映一郎先生と感想ツイートが恐ろしいほどかぶっていたこと。
まず自分のツイートから4月1日。
でもジュピターは崩れかかった宇宙足場のところで、宇宙王子と宇宙女王が宇宙鉄パイプで戦うシーンとかは実家のような安心感で凄いよかった。あと宇宙役場で宇宙たらい回しされるとことか、スーパー宇宙パワーがササダンゴマシンと宇宙ロックアップするのとかもよかった。
— an_shida (@an_shida) 2015, 4月 1
そして磨伸先生のツイートがこちら。自分のほうが鑑賞もツイートも早いし、先生が自分のツイートを見ていないと思うので、かんどうした。ニュータイプか。
て言うかスペース役所でスペースたらい回しにされて、スペース場末の事務所でスペースおんぼろ機械による調印でなんとかなっちゃう銀河最大王家って一体。 そしてスペース警察に素で介入されまくってスペース取り押さえられちゃう銀河最大王家って一体。 うん、このだいなし感だいすき!!!
— 磨伸映一郎@氷室の天地9巻発売中! (@eiitirou) 2015, 4月 8
そうだよ、映画『ジュピター』は素晴らしい本格SF大作だよ。銀河を牛耳るスペース王家のスペース王子をスペース鉄骨現場に追い込んで、スペース鉄パイプでスペース殴打する本格SF大作映画なんだよ。見るしかないよ。
— 磨伸映一郎@氷室の天地9巻発売中! (@eiitirou) 2015, 5月 27
宇宙鉄パイプ、宇宙たらい回しとか、宇宙とスペースの違いこそあれ、こんな面白いことなかなかないですよ。かんどうした!
あとwikipediaの
2015年の日本公開映画 - Wikipedia がなんでか分からないけど全然足りなくて
映画公開カレンダー − 映画ナビ を参考にした。
話数単位で選ぶ、2015年TVアニメ10選(画像は後で貼る)
集計をしてくださっている新米小僧さんに誘われて初参加をしてみることにしました。
できるだけ1本単独で見ても面白いのがいいかなあと思って選んだ。
Go!プリンセスプリキュア 1話 「私がプリンセス? キュアフローラ誕生!」
脚本田中仁 コンテ演出田中裕太
待ちに待った田中裕太SD。熱くなっていたのでへんてこなエントリも書いたものだった。書いてる途中で満足して演出の魅力をちゃんと語ってなかったのでちょこちょこ手をいれたり。・
さて1話だけどもAパートで学園の中を紹介しながら歩き、不思議な生き物(マスコット)と出合う。Bパート、外で戦うことによって「1年間の舞台」をきちっと示したところに田中裕太らしさを感じた。簡潔に世界を見せている。プリキュアになる前の二人とはすれ違うだけ、七瀬ゆいという傍観者を置いたところも印象に残った。
ただセールス的にはあまりよくないという話も聞いて残念に思う。カードゲームなどインタラクティブなものが流行ってきてもいるし、逆風もあるかとは思う。作品そのものは楽しい話数も多く、見どころが多いと感じている 。
あえて言うなら今「プリンセス」という題材と、田中監督のライダー的おもちゃ心が女の子にどれだけ響くのかということは感じた。個人的は『プリキュア』シリーズそろそろ終わってもいいのかなという気持ちになっている。そんな1年でもあった。
ディスク・ウォーズ・アベンジャーズ
第45話 ヒーロー分断のワナ 脚本坪田文 コンテ古賀豪 宍戸望
古賀豪らしい「むちゃくちゃ感」が溢れてた1本。天丼天丼また天丼のコント的パワーバトル。キーとなる人物の素顔を見てはいけない!と悲痛にアイアンマンが叫ぶがその人物はピラミッドの上に思いっきりいて「普通に見えちゃうだろ」と突っ込みたいけど熱くシリアスにドラマが進み、全員の視線がピラミッドの上に集中するところなどケレン味たっぷり。東映系では田中裕太のおもちゃ心、大塚隆史の熱血少年心、古賀豪の勢い心などが楽しめた1年だった。
すべてがFになる
第九章 黄色の死角 脚本渡辺雄介 コンテ演出黒木美幸
画面の見せ方、空間の扱い、整理とカットカットが大変興味深い。何より解答編の前の盛り上がりが肌で実感できた。
干妹!うまるちゃん10話 「うまると今と昔々」脚本杉原研二 コンテ山崎みつえ太田雅彦 演出野木森達哉
わりとのんびり観ていた本作の中でも記憶に残った。特にテーマ「兄と妹の絆」がどのエピソードからも感じられ、統一感の感じられる一本になっていた。随所でちびキャラの可愛さも目立っていた。
6話のこのシーン、夜のコンビニからの帰り道、静かに時間が流れながら、うまるの頭身が変わっていくのも詩的で好きだったが、話数としての統一感からこちらを選んだ。
ローリング・ガールズ 8話雨上がり コンテ 平川哲生江原康之 演出朝見松雄金森陽子
楽しく観たシリーズ。ただ楽しいことに満ちていそうで、面白くなりそうなりそうと思っていたらそのまま爆発せずに終わってしまった印象。「リンダ・リンダ・リンダ」×ロードムービーみたいな企画だったのかしらと勝手に考えていた。でも「リンダ」の魅力であるところの気だるさそしてリアルに女の子的ワイワイ感が加わって愛らしくなっていた。ブルーハーツがエンジンになってさらに熱くなるかと思ったけど全体を通して見るとやはり爆発せずに終わってしまったように見えた。
この8話については観終わったあとの爽快感があって、これ1本だけ単独で見たくなるくらい気持ちよかった。監督の出合さんについてはイシグロキョウヘイ監督が折々でちょいちょい名前を出しているので気になるところではある。
プラスティック・メモリーズ8話知らない花火
脚本林直孝 コンテ演出山崎みつえ
1話から観続けていて、テーマの取り扱いが落ち着かないなあと思いながら出くわした本話数。「いずれ記憶を失う」「アンドロイドと人の恋」という元々のテーマはさておいて、力の限りラブコメをやった回。それ故テーマ的にはこれ以上ないぐらい停滞しているが、楽しいドタバタラブコメは初見でもきっと楽しめる、はず。
響け!ユーフォニアム 13話さよならコンクール
脚本花田十輝 コンテ山田尚子 演出河浪栄作
5話、8話、12話とどれも迷ったのだけれど吹奏楽、オーケストラ経験者としてBパート。トランペットのソロ周りの画作りでハッとさせられた。ドラマとして関係する人物をその箇所で映す、そこに強いショックを受けた。
個人的な経験になるのだけども、コンサートのビデオというのはプロアマ含めてたくさん観てきている。ただ、生に勝るものは基本的にはないし(新演出の個性の強いオペラはともかく)正直、奏者を映されても自分の楽器でも演奏技術の勉強くらいしか出てこない。「指揮者の動作とそれによってどのような音が、音楽が出てくるか」が演奏のメインであって、奏者をかわりばんこに映してもあんまり面白くないよなあという考えがあって、Bパートもその前提で見てしまっていた(それぐらい画面作りが本当っぽかったということでもある)。現実でオケの動画見てても各奏者に思い入れしてみることはそんなになかったというのもある。
ところがキャラに思い入れがあるとこんなに違うのかというぐらい楽しんで観ている自分がいた。そこに加えてドラマが出てこないと思い込んでいたところに、ドラマが出てきて強い印象を残した。アニメの文脈でいうと当たり前でも、自分の経験からすると、意外な展開で、嬉しいサプライズになった。
SHIROBAKO23話 続・ちゃぶ台返し 脚本吉田玲子 コンテ 許琮 菅沼芙実彦 演出 倉川英揚 太田知章
半年楽しんだシリーズ。凄く気持ちを込めて観てたし、2chや実況系の感想は意図的に見ないようにしていた。「自分とアニメとSHIROBAKO」の中だけでゆっくりと向き合いたかった。最後の泣くシーンがやはり心に残ったので。
4話「BLOOD LINE FEVOR」脚本 古田和尚 コンテ 松本理恵
映画「花の都」でハートキャッチされた身としては心待ちにした本シリーズ。京騒戯画は楽しく観たものの正直「もう東映でできることあるんかなあ」と感じてしまい、ちょっと不安な気持ちになっていた。東映を出て、まずは商業的にも成功したようでホッと一安心。
レオとホワイト、ブラックの話でシリーズは貫かれていて、一本というとかなり迷ったが娯楽作の様式をきちんと建てたこの話数が印象に残った。ホワイトブラックの話で作家性を見せるだけでなく、1話完結のスタイルを強靭に示したように見えた一作。
スタミュ 第1幕 脚本ハラダサヤカ コンテ後藤圭二 演出多田俊介
なんか書いてたら異様に長くなったので別記事建てようと思う。
ミュージカル。場面転換や歌の導入で「自然に」なるようにするのが普通だと思っていたら、そのままぶちこんできた。その意外性とギャップが異様に笑えて、愛らしく、かつ感動した。そんな作品でした。大好きです。
もう少しだけ。芝居のなかに歌が入る。それも人物が歌いだすとやはり不自然さや違和感が出る。その違和感をドラマとして最大限有効活用してしまうという試みがシリーズとおして成功していた。
1話では、Aパートの登校シーンで華桜会という5人のスターが歌とダンスを見せるのだけど、1人は稽古場にいるので場所が離れていて、しかもソロパートもある。ダンスも5人いることを前提とした振付で、広場の観客は稽古場の様子は分からない。視聴者だけが把握できる。でもそれでいいとした。Bパートでは突然メルヘンチックな服装に着替えてやはり急に歌い出す主人公星谷。詳しくは別エントリで書くが、ここでリアリティのラインをびーーっと力強く引いてしまった。
シリーズ通して「急に歌が始まること」が「キャラを立てたり、ドラマを補強する」ことと結びついて、感銘を受けた(あとで必ず書こうと思う)。
番外(数えたら11本あったので自動的に選外。恐ろしい)
『キュートランスフォーマー 帰ってきたコンボイの謎』
8話クッキングパパにあやかって人気者への道
トランスフォーマーにクッキングパパが出てきた話。クッキングパパは玄田哲章でありながら同時に、過去に演じたコンボイの属性も残しているので、ゲストに対し緊張感があり、生々しかった。
因みに本シリーズで細谷佳正のアドリブ、わたわたぶりが強烈なインパクトを残し他作品、特に『心が叫びたがってるんだ』『鉄血のオルフェンズ』の鑑賞時にフラッシュバックして大変困りました。『ここさけ』に至っては細谷さんはコワモテ生徒でありながら担任が敵方の親玉である藤原さんであったり正直クラクラした。
選にもれた候補としては(取り急ぎ挙げてるので抜けがめっちゃ多い)
『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか?』1話の松岡主人公の芝居と、ちゃんとファンタジーをやろうとしていることが伺えたことが興味深かった。例の紐については初見時全然気にならなくて自分は種族が違うのだという思いを強く感じた。
『ユーフォ』5話、12話。三好一郎の作るものがこんなに面白いのかと実感できた。
京アニ内で信頼と尊敬を得ているのは読んでいたが、あまり作品に触れる機会がなかったため、これもまたよい経験だった。13話Bパートは演奏についてひとつ表現を切り開いたと感じたのでそちらを推した。
『うたプリ』毎回笑ってみてたのだけど、シリーズものというところと、『スタミュ』の様式感が整っていたのでそちらに統合みたいな感じ。
『おそ松さん』『鉄血のオルフェンズ』なども楽しく見ているが途中ということと1本これ!というところで落選。
『進撃!巨人中学校』進撃本編観てないのにこれは楽しい。大塚隆史回の中学生男子的熱さとかが懐かし楽しかった。ロック・リー伝説はこのためにあったのだと言っても過言ではないかもしれない。
『ポメラちゃん』とくに理由もなく落選。「ちょぽらう にょぽみ」であることを知った2015年であった。
『食戟のソーマ』役者さんの熱演と過剰なまでの食べ物の見せ方が記憶に残った。
『ワカコ酒』クレソン食べれません……。
『GO!プリンセスプリキュア』~きっと愛すべき世界 田中裕太監督のtwitter発言から考える
【未完成だがここに草稿を残す】
田中裕太演出は面白い!
でもその魅力とはなんだろうか?
そもそも田中演出ってどんなもの?
いくつか特徴的で有名なものをあげてみる。
多分いちばん有名なワンシーンのひとつ(※)(歌を引き立たせる点に加えて、2D格闘ゲーム的な殺陣も田中演出の特色のひとつ)。
※「ドキドキプリキュア こころをこめて」で検索するとどこかに何かあるかも。
また、構図が印象的で「おっ」と目を惹くものが多い。
例えばこの辺も面白い(『スイートプリキュア』23話)。
この猫と小さなキャラ(ハミィとフェアリートーン)は人物と身長差がある為、このような画面構成になっているというのが理由のひとつ。
引きの画も印象的なことが多い。
手前のキャラはとても小さいので、ふだん人間と会話するときは、だれかの肩に乗ったり浮いたりすることが多いがこれは違って目を引くと同時に、「何を話しているのだろう」と人を惹きつける。
例で上げたような構図で描かれるのは、新鮮で、単調さを回避している(プリキュア以外のシリーズでも背景美術がよく見えるような構図を取ることが多い)。
今回は来年の新シリーズの予想がメインなので、ざっとポイントを羅列すると
印象的なレイアウト・アングル。
攻撃のギミックが独創的。
挿入歌が盛り上げるアクションシーン。コメディの楽しさ
メインもサブもキャラが生き生きしている、などなど*1。
確かにそのとおりかもしれない。
でもこれはどこからきたものだろうか?
どんなバックグラウンドがあるのだろうか?
そこで田中監督のtwitter(タナカリオン @tanakarion)を長年愛読してきた筆者が、考えてきたことを紹介したい。
情報源がtwitterしかなくtwilogへの登録もされていないようなのでほぼほぼ記憶に頼って検索して書いてます(あーこんなこと仰ってたな→検索、の繰り返し)。
おもちゃ力とみんな力
1.おもちゃ力!
ツイートを拝見してると、とにかくおもちゃで遊んでいる。
田中裕太監督 玩具の賦 2014 - Togetterまとめ
いやー遊んだ遊んだ。満足。早くサニーとマーチも来ないかなー。 pic.twitter.com/7sCzBrWclp
— タナカリオン (@tanakarion) 2014, 2月 3
そしてこの笑顔。
これには並々ならない作品愛もあるが、映像にもその個性が強く出ている。
いくつか例を挙げてみる。
炎をまとったキック『スマイルプリキュア!』15話(炎を使うキャラだが、バンク必殺技はバレーのアタックで、田中演出のこの話数ではオリジナリティをもってイメージを展開させている。)
『スマイル』43話より氷のシールド。これも挿入歌が印象的なバトルシーンだが、他にも両手剣や、氷をまとった髪などイメージを拡張したゲーム的な技がでてきて、氷を自在に使うという活き活きとした実在感を感じさせる。
ドキドキでは、バンクの画を逆さにするという印象的で珍しい演出があった。
このキュアロゼッタは普段手でクローバーのマークを作るのだが、上下逆にするとハートに見えて、しかもそれが台詞の「愛」にかかっているという見事なものになっている。彼にとってアニメのキャラは自分の隣にいて生き生きと飛んだり跳ねたりするものに違いない。
そして、属性を元に色々な技を繰り出したり、バンクを逆さにする発想の源泉のひとつが「おもちゃ遊び」ではないか。
また、アクションのためのアクションではなく、強い気持ち、またはテーマを示すときに使われることで、話とキャラ両方が強く印象に残る。さっきの「炎のキック」も友達の大切なものを敵に笑われて、静かに怒り、まさにその時に新しい技を使うことで、怒りの気持ちとアクションをより印象強くしている。
ある感情を強調するという演出方法は様々である。
そこにこういうおもちゃ的、ゲーム的、ガジェット的(巧い表現がない……)な動きが入るのが田中演出っぽさのひとつだと思う。
そして挿入歌については田中監督が演出助手を務められていた頃の体験が強かったようだ。
過去のツイートにはこうある。
555の18話といえば、大塚さんと二人で実際の「ツインテールの魔法」のレコーディングを取材させてもらったのは良い思い出。アフレコとはまた違う、歌のレコーディングという現場は今もってなかなかに貴重な体験でございました。懐かしいなー。
— タナカリオン (@tanakarion) 2012, 11月 22
それぞれのシリーズ挿入歌も大変積極的に聴かれている上にキャラクター性まで踏み込んだ考察をされている*2
2.みんな力!
キャラに対しても、スタッフに対しても全員の魅力、よさを活かしたい、というお考えのツイートを何度か拝見した。
思想の根本になるなと思ったツイートがこちら。
「どんな脚本が来ようとも最終的な評価は演出のせいになるんだよ。だから内容を良くするためには何でもやる。その変わりその責任を取る。だからEDテロップってのは最初に脚本の名前が出て最後に演出の名前が出るんだ」と、昔、某先輩から教わりました。なるほどと思いました。
— タナカリオン (@tanakarion) 2014, 2月 10
アニメの工程の中で、脚本はたびたび改変されるというエピソードはよく耳にするが、こういう考え方は健全で素晴らしいと思う。*3。
先に上げた引きの構図には柱や建物がアクセントとして入ってくることが多い。
これは細田守演出の分岐点のような暗喩や、庵野演出の電線のように「漠然とした不安感」のような強い性格がないことのほうが多いように思う。
『時をかける少女』より。ヒロインと2人の男性キャラと分岐の交差点。細田演出で何度か見られた隠喩だが、田中演出ではここまで主張が強くないものの方が多い。
そこで最近のものだけどこのツイート。
素晴らしい作画の動きで感動できるように、力のある美術さんが描いた本気の背景は、データを開いた瞬間圧倒されるほど美しくて感動する事もあるんやで…。
— タナカリオン (@tanakarion) 2015, 1月 4
純粋な演出効果は勿論だけど、そこには 背景をよく見てほしいという気持ちと、キャラを色んなところに置きたい(=作品世界の中で生きている)という考えが底流にあるように感じられた。
また、田中監督は「拾う」という言葉を使われる。シリーズの中で 他の演出家の回の事柄でも、いいと思ったものはどんどん自分の回に生かしていきたい、という気持ちが強いようだ。
でも放送後、作画のおともだちから「あれ超良かったよ」と言われて救われた。今ではやってよかったと思いますヘアギター。でもその後誰も拾ってくれなかったから結局自分で拾った。
— タナカリオン (@tanakarion) 2013, 9月 10
ヘアギターについてはこちら。
これは、作品世界に愛着を持てる条件のひとつだと思う。
プリキュアシリーズは1話完結なので、どんどん新しいキャラを出して世界を広げるアプローチもあるし、同じキャラを複数回出すことで世界に奥行きを持たせることもあって、田中監督は後者のイメージが個人的に強い。
そして、その世界は暖かく、サブキャラ一人一人にも光を当てている。
サブキャラについての発言。
『スマイル』に出てきたぽっちゃり系クラスメイト宗元君。とても出番は少ないがサブキャラに対してどこかで活躍してほしいと思っていたことが伺える。
山岡さん作監回で喋って動く宗元くんが見られただけで個人的にはもうスマイルのクラスメイトには思い残す事は何もありません。
— タナカリオン (@tanakarion) 2012, 10月 7
こんなツイートも。
個人的にはさらに遡ってどれみシリーズのクラスメートなんかがその最たる好例ですかね。ドッカーンくらいになってくると、教室シーンの後ろで写ってるキャラの大半にメインゲスト扱いの話があったという…。さすがに1年シリーズじゃそこまでは難しいですけど。
— タナカリオン (@tanakarion) 2013, 11月 18
ここで大事なのは、こういう考え方を持った方が一年を通してシリーズディレクターとして作品をつくっていくということで、これが初監督なのだからここはもう迷わず初体験してほしい!
というわけで、新シリーズ『GO!プリンセスプリキュア』は
○キャラがどんどん膨らむ(サブキャラも)
○アイテム=おもちゃが生き生きと展開する
と今ここで予想しておきたい。
おもちゃ好きな監督は、ちびっ子の心も魅了してくれるはずだ。
2月1日、田中裕太の大きな一歩が始まるのだと思う。
一年間、ただひたすら日曜の朝を待つことができる喜びを多くの人と分け合いたい、一緒に楽しみたい。
最後に、辛い時にもユーモア溢れる田中監督のツイートでエントリを閉じたい。僕はこれ以上楽しい「守りたい、この笑顔」の使い方を未だ知らない。
偉い人から生暖かい笑顔でコンテの催促が。笑顔が消えない内になんとかしないと。守りたい、この笑顔。
— タナカリオン (@tanakarion) 2012, 10月 2
頑張れ! タナカリオン!!
*1:他の演出家の話数にこれが欠けているということでは全然なく、あくまで特徴のひとつだと考えています。本エントリはただ田中裕太の魅力を語りたいだけで、その他のことを否定する意図は全くありません
*2:特撮愛、アニメ愛が感じられる。改めて原曲を聴いてみるとなるほどー、と思う。タナカリオン on Twitter: "100%ヒーローって、本当は宮内タカユキあたりが歌ってる渋熱い特撮ソングをやよいがカラオケで熱唱してると仮定して聴いてみるとフフってなる。しかもヒトカラ。" 試聴4曲目スマイルプリキュア! ボーカルアルバム1
*3:アニメは集団作業であり、だれか一人の手柄でもないかもしれないし、だれか一人の失策でもないかもしれないということは自分も常に念頭に置いて発言しているので本エントリについても、田中監督のアイディアでないところもあると思いながら書いている。あるホルン奏者の言葉をちょっと引用しておきたい「交響曲のある場面で私が巧く吹くと『指揮者がよい指揮をした』となります。そして私が失敗すると『ホルンが良くなかった』と言われる。これはどういうことですか(笑)」