虚報タイムスのピアノ記事が見事だった。

twitterで回ってきたこの記事があまりに素晴らしかったので少し書いてみたい。

ジョン・ケージ4分33秒という全く音の出ない曲(と言えるかどうか)が演奏されなかったという記事。

要するに観客が「4分33秒」を知らず、音が出ていない時間があった=演奏していた、ことに気づかないで怒るという、ジョーク記事だ。

だが、この記事は実に周到だった。

解説を入れてみたい。

東京・千駄木の文化音楽ホールで

 まず、東京の千駄木に音楽ホールがない。あるかもしれないが著名なコンサートホールはない。

ここで「千駄木にホールなんかあったかねえ」と、慎重になる人もいるだろう。普通なら渋谷、新宿といったそれらしい地名を選ぶところで、わざと外している。

 

「ジャパン・マッシュルーム・コンサート」で、世界中からキノコ好きなトップピアニスト10名が集結。

ケージが菌類の研究で有名だったことを踏まえ「マッシュルーム・コンサート」と名付けているのも珍妙だ。

 

ハワード氏が演奏する「4分33秒」は「史上最高」と評され、(中略)日本一豊かな音色(後略)

 勿論音が出ないので、音色云々の問題ではない。

ただし、実際に聴き比べをやっている人はいる。環境音を比較するような風情になっているが。

 

ショパンの「ピアノ協奏曲第1番・2番」を披露。(中略)演奏を終えると、なぜか5分ほど沈黙してから楽屋へ戻ってしまったという。

 ショパンを弾いた後の5分の沈黙が「4分33秒」なのだけど、誰もこれに気づかないというのがこの記事の根幹。

そもそも「ピアニストが4分33秒をやるぞ」と銘打っているコンサートでオーケストラがつくのもなかなか壮観なウソだ。

 

ショパンの協奏曲については1番・2番を連続演奏すること自体がひとつのプログラムになりえるもので、アンコールとして「4分33秒」をやったようなかたち。ただアンコールでやることもまずなかなかない。アンコール聴きたい人にこの曲ぶつけると、まあちょっとガッカリされると思う。

ただ、余韻という意味ではありなのかなとか、今回のハワード氏という架空の人物は意図的だったようにうかがえる。

 

 

最も高い席は30万円だったこともあり、観客からは「絶対聞きたかったのに残念すぎる」「チケット代金を返してほしい」との非難が殺到。

 高すぎる30万円というのも不自然でここもアクセントだ。

観客は返金要求しているように、曲の演奏について気づいていない。

普通ならここでまとめて記事は終わりだが、もうひとつ続きがある。

 

 

初めて「4分33秒」を聞くためにコンサートに参加したという男性は、「『4分33秒』も聞いてみたかったが、ショパンが最高だった」と満足げ。「途中で5分くらい沈黙していたし、体調を崩したのかもしれない。無理しないでほしい」と話し、次回の来日に期待を寄せていた。

 この素朴な男性はショパンの協奏曲を楽しみ、ピアニストを気遣いながらもまた聴きたいと思っている。結局この人がいちばん演奏会を楽しんでおり寓話のような作りになっている(そもそも寓話だが)。そしてこの幸福な楽しんだ人さえも「4分33秒」がなんなのかは最後まで分からないままなのだ。

 

ここでもう一つ注目すべきなのは「途中で5分くらい沈黙」である。先の文によるとショパンを終えた後に「5分ほど沈黙して」楽屋へ引き上げているのだから、5分の沈黙は2回あったことになる。この男性も、ピアニストが楽屋に引き上げる前の5分を「途中」とは表現しないだろう。

 

1番と2番はオーケストラ編成が違うので、曲と曲の間には、準備のために楽団員が出たり入ったりする。それを持って沈黙とは言わないと思うので、やはりいずこかの地点で音が止まっている=「4分33秒の演奏をしている」ことが考えられる。

そもそも新聞側がちゃんと取材をしておらず途中なのか最後なのか間違えている可能性もある。

真相は闇の中だ。

結局のところ、私たち日本人は西洋音楽というものを本当の意味で理解できていない空しさの風が吹いていないか。そもそも「理解」ということを考える時点で、「4分33秒」に30万円払って滑稽な抗議までしてみせて。無心に楽しんだ男性はなるほど幸せだろうが、それでも完全な理解者ではないかも知れなくて。

 

そして振り返ってみると珍奇な名前のコンサートであるが、演者側は「普通に」コンサートを遂行していたと思われる。そこがまた怒っている観客の愚かさに寓話的な面白さを増して、嫌味な感じになっていない。

 

終わりに

「演奏しない曲を演奏しなかった」というジョークにとどまらず、話題に振り回される戯画化された愚かな観客と素朴に楽しんで満足している観客と、外来の文化であるところのクラシック音楽を理解しようとして背伸びしている社会、というようなニュアンス(全部寓話ではあるが)の出ている見事な嘘記事だった。星新一ショートショートのような趣さえあった。

おしまい。

 

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