再び高みを目指して~輝木ほまれの上昇しない世界と長い助走

HUGっと!プリキュア』4話「輝け!プリキュアスカウト大作戦!」は素晴らしかった。

※アニメ演出家田中裕太さんのファンが書きました。

 

4話は主人公の一人輝木ほまれの物語だった。ほまれはフィギュアスケートに挫折した女の子。

前半では飛ぶことそのものから距離を置いているが、主人公はなたちとの交流や敵の出現もあって後半で再び飛びたい(プリキュアになろう)と自ら願う。だがその想いは叶わない。そんな話だ。

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さて、この話では田中裕太らしい演出が際立っていた。ではそれはどんなものか?

一言で言うと「輝木ほまれが徹底して上に行かない」ということだ。それはほまれが飛べないことを表した演出でもある。

 

バスケをするシーンではスケートの失敗がフラッシュバックして飛べなくなっていることが示される。 

 

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後半の戦闘シーンでほまれはもう一度飛びたいと願うが、その手は届かない。

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「上に行かないこと」の具体例を見てみたい。彼女は一貫して横、下への移動をしている。本編中、座り込むこともなく、あてなく彷徨っているようでもある。前半ではほまれは走らない。本人が飛ぼうと思っていないから、飛ぶための助走は彼女の生活に必要ない(迷い犬や子供を助けるためには走る。他者の為に走ることはできるが「自ら飛ぶ」ことはない。これは次回へ繋がるモチーフになるだろう)。

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ここでもそうだ。特に下の画像でははなとさあやは階段を「登る」芝居があるが、ほまれは登り切った後からカットが始まっていて「アニメの中で上に行くシーン」がない。

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一人歩く、水平移動を執拗に繰り返す。繰り返すことで視聴者には考える時間が与えられ人物の心情に寄り添うことができる。

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後半。

戦闘シーンではほまれ以外のプリキュアがさすがに飛んだりするかと思いきやカットごとの見せ方で「直接上に飛翔する」シーンはほとんどないと言っていい。むしろ横の動き、上から下へと振り下ろす動きが印象的。もちろんプリキュアたちがほまれの夢を邪魔するわけではないから、純粋に「飛ぶことをほまれのためにとっておく」演出だろう。五七五になってしまった。

 

 

ほまれが決意して走るシーン。飛びたいと願い走るが下方向に走っていることで失敗が示唆される。そんな言葉だけでは足りない重層的なシーンになっている。*1

 

 

これらは全て、ほまれが次回キュアエトワールへと飛翔するために必要なことである。逡巡しながら歩き回ったことも飛ぼうとして失敗したことも無駄にはならない。

ラスト、ほまれは上を見ながらも踏み出そうとしない。今はまだ飛べない彼女がいて、その立ち位置はさあやとはなよりも少しだけ高い。*2

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おわりに

 

田中演出の魅力の一つは「画面の単調さを回避」しつつ「説明言葉に頼らず」「キャラの個性を強く印象づける」ことだ。

 

ところで輝木ほまれの苦闘はもう少し続く。次回が佐藤順一コンテなのでこれを受けてどんなアニメが観られるのか楽しみだ。

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これからも田中裕太の作るアニメを観たいと強く願う。*3

 

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*1:ほまれのドラマは深刻だがエールたちのバトルはコミカルにしてバランスを取っているのかもしれない

*2:場面からするとこの後橋まで登って戻っているはずだがあくまで作中では描かないということ

*3:本当はサブキャラの扱い、アクションの作り方についても語りたいけど長くなるので項を改めたい。

ワンダーランドの栩野幸知~「この世界の片隅に」「この空の花~長岡花火物語」

※『この世界の片隅に』と「この空の花~長岡花火物語」の内容に触れています

 

 

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男性「ほう、お嬢さん絵が達者じゃねえ」

女性「はあ、子供達が喜びますけえ、こうやって描いとります」

ちょっと長い前置き

あるとき、あるところでこんな議論があった。

映画『この世界の片隅に』の話

憲兵役で出た役者が、パーティで憲兵の扮装をしたことに対する批判とそれに対する応答。

戦争、過去の出来事に対する議論はものすごくものすごく多くの切り口があって到底ここでは書ききれない。ただ「〇〇は△△だった」と単純に言えないことは多くの歴史が証明している。

監督もこの件について意見を述べられているがそれも議論が長くなるのでここではふれない。

 

では『この世界の片隅に』の監督、片渕須直は戦争をどう捉えているか?

片渕須直監督の戦争について語ったものの中で、最も私の心に残ったのは以下のツイート。

 

 

 

 これはどういうことか。

 

平時なら誰でも当たり前にできることができなくなる。好きな服を自由に着ることができて、絵を描きたい人も自由にできる。

そんな「普通」ができなくなるのが戦争であり、『この世界の片隅に』は戦争が始まって終わるまでの話でもある。

映画のクライマックスはエンドロール。今の視点から見ると当たり前の「女性がスカートを履いて畑に立っている場面」だと。

 

 

この考え方に沿うと「いいおじさん」だったはずの男性も戦争という事件のせいで「憲兵さん」になってしまうともいえる。一市民や憲兵になった男性に「戦争責任」があるかどうかということもここでは議論しない。

はっきり言えるのは「戦争で変わってしまったもの」があるということだけだ。

男性「ほう、お嬢さん絵が達者じゃねえ」

女性「はあ、子供達が喜びますけえ、こうやって描いとります」

 

 これもまた選ばれなかった未来だ。戦争が「海岸線と軍艦を描くスパイ行為の女と取り締まる憲兵」を生み出したともいえる。

 

映画の話

それで「この世界の片隅に」 「この空の花~長岡花火物語」が東京の早稲田松竹という名画座で上映されていた。「この空の花」は公開時に話題になり、その衝撃は次の記事がわかりやすい。

www.excite.co.jp

 

2つの映画は全く似ていないようでよく似ている。似ているようで映画の見た目は全然違う。だがその本質はとても近い。

 

戦争と現在の私たちを繋げたい

 

どちらも、戦争を題材に異色の切り口で表現した映画だが

『この世界』は「タイムマシンに乗ってあの時代に行くような」

『この空』は「現代に無理やりにでも力技で戦争を重ね合わせる」

そんなアプローチだ。

 

この世界の片隅に』の一場面。野草や魚、台所用品の数々、これらはスタッフが調べてそれを画にしている。

今と違うようで同じ。映画全体を通して可能な限り再現しようとしている。

それは戦争といまが地続きであることを見せたかった、たからこそ本当にあったものを探して描き、本当の街並みを再現する必要があった。

「考証がすごい」のでは断じてない。そう謳う作品はいくらでもある。

「観客をタイムマシンに乗っていると錯覚させるためには、全て調べあげなくてはならなかった」が正しい。

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一方「この空の花」。どう見ても合成の炎、あまりに安っぽい。とてもタイムマシンに乗る様相ではない。

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だがそれもまた戦争を現在に甦らせるためのひとつの力強い表現だ。

この一見安っぽい画面は映画のなかで次の美しい画面と地続きになる。

地続きになるけどもとても言葉で表現できるものではない。その手法は大林宣彦だけのものだ。是非確かめてほしい。きっと今まであなたが観た映画のどれにも似ていないから。

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「まだ、戦争には間に合いますか?」と問いかけた「この空の花~長岡花火物語」

 

「間違っていたなら教えてください 今のうちに」とつぶやいた『この世界の片隅に

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是非多くの人に観てほしい、そしてできれば両方を観てほしい。戦争の悲惨さをストレートに訴えるのとはまた違うかたちで闘いぬいた記録だ。

 

 

終わりに。栩野幸知さんのこと~2つの映画を繋ぐ

この両方に出ているのが栩野幸知さん。

『この世界』では先ほどの憲兵さんとして声の芝居をしている。

栩野幸知 - Wikipedia

「この空の花」には生身の役者として出演しているが、役どころも違うし実写とアニメだから気づかない人も多いだろう。私は初見時には気づいていなかったし、先日早稲田松竹で「この空の花」を見るまで、彼が出ていることにも気づいていなかった。

 

ここからは全くの自分の空想を描く。

「この空の花」で栩野さんの役どころは「先生」だ。戦争で赤ちゃんを喪ったお母さんがその体験を子供達に語るときに、紹介をする先生の役だ。栩野さん演ずる先生はお話と子供達をとても優しいまなざしで見つめている。

 

その時、私の中で二つの映画が強烈に結びついた。

戦時中、広島の呉で憲兵さんとして威張り散らしていた姿と、戦後長岡で優しい先生として映画の中にいた姿が重なった。

 

『この世界』で絵を取りあげられた女性の自由が取り戻されるのは、エンドロールでスカートを履いて、その場所で船を見つめても誰にも何も言われない当たり前の風景として、表現されていた。自由と平和が静かにそこに在った。

 

そして「憲兵さん」の元々の姿までもが、広島から遠く離れた長岡を舞台とした「この空の花」によって取り戻されたように感じた。

憲兵から先生へ、あるいはやさしいおじさんも意地悪な憲兵になってしまう、平時と戦争の対比。

「この世界」の原作でも映画でも憲兵のその後は描かれないからこそ、「この空の花」に彼が出演していることはより大きい意味を持っていると言えるのではないか。

 

この二つの映画はアプローチこそ違うが戦争を真正面から捉えた双子だと感じた。

ただ、観てほしい。体験してほしい。それが筆者の願いです*1

 

男性「ほう、お嬢さん絵が達者じゃねえ」

女性「はあ、子供達が喜びますけえ、こうやって描いとります」

 

 

*1:タイトルは「この空の花」の十個ぐらいある副題「遠藤玲子のワンダーランド」からとった。

話数単位で選ぶ、2017年TVアニメ10選

今年も参加。

話数単位で選ぶ、2017年TVアニメ10選

3月のライオン』26話「Chapter.52 てんとう虫の木(2)」「Chapter.53 てんとう虫の木(3)」

リトルウィッチアカデミア』8話「眠れる夢のスーシィ」

亜人ちゃんは語りたい』11話「 亜人ちゃんは支えたい」

正解するカド』1話『 ヤハクィザシュニナ』

エロマンガ先生』8話『夢見る紗霧と夏花火』」

  『魔法つかいプリキュア!』49話「さよなら…魔法つかい!奇跡の魔法よ、もう一度!

ネト充のススメ』6話「恥ずか死んじゃいます!」

アニメガタリズ』11話「共ニ語リシ光輝ノ裏切リ」

ヘボット!』第45話「ギザギザ・ザ・ネジ山」

サザエさん』2443話 No.7652「主婦のシェフ」

 

 

 

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ネットで風刺は生き残るか~宮崎駿引退ツイート問題について

 

 

 

宮崎駿の引退にまつわるツイートが、テレビで「事実」として紹介されたことで色々な考えを読んだので久しぶりにブログを書いてみる。

 

ネット社会で風刺はどうやって発表すればいいのかと考えさせられた。 

「風刺」がネットでデマ認定されるのは、紙メディアと性格が違うからなんだろうなあということ。

 

 1.あらすじ

 まとめはこれ。

※これは宮崎監督の実際の発言そのものではありません

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https://pbs.twimg.com/media/DA4OTLhV0AEXHm8.jpg

togetter.com

 

 

今回の当事者、あれっくすさんが過去にツイートしたのはこちら。

※これは宮崎監督の実際の発言そのものではありません。

 

 

宮崎駿監督は過去に何度も引退したいという発言をしているのは事実で、『風立ちぬ』の際には引退記者会見をしている。*1

*1:引退宣言を何度もすることによって「今度が最後!」と銘打って商売をするわけなので、安易な引退宣言と復帰については批判された方がよいと思う。プロレスラーには散見される。『風立ちぬ』で引退するときにも「どうせ復活するだろう」という意見はいくつも目にした。ただビジネスである以上、少しでも宣伝をうまくやりたいたいプロデューサーの気持ちはわかる。ジブリ展で自分の書道を披露したい人の気持ちはわからないが。 

見てくれ! オレの大博覧会!(小原篤のアニマゲ丼):朝日新聞デジタル

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浜村淳、またまた『この世界の片隅に』を語る~おおさかシネマフェスティバル授賞式

毎日放送のラジオ番組「ありがとう浜村淳です」3月6日回の『この世界の片隅に』部分を文字おこししました。 

※映画本編の内容にものすご触れています。未見未読の方はご注意ください。

ありがとう浜村淳です (3/6) - YouTube

浜村 昨日、大阪の堂島にありますホテルエルセラーンで「おおさかシネマフェスティバル」の発表授賞式が行われまして。
佐々木 ええ。
浜村 このホテルがいつも言いますとおり、もうお洒落!

(中略)

 

浜村 その他に作品賞。アニメーションです。この世界の片隅で。
佐々木 この世界の片隅「に」?
浜村 片隅に。『この世界の片隅に』。えー、確かにそう。大阪日日新聞にそう書いてあります。わたくし喋ってるうちはねえ、司会してるうちは間違わないんです。
佐々木 (笑)。

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「聲の形」竹内先生が好きだ、という話。

 

アニメ映画にもなったマンガ「聲の形」の竹内先生が好きだ。好きだというとちょっと言い過ぎかもしれないが、彼の屈折、鬱屈、環境を考えると「ただの悪役」で片づけられない。自分はそこに心を惹かれるもの、考えずにはいられないようなところがある。

 

この記事では、竹内先生の立場から物語を見つめることで、彼について考えてみたい。

ちなみにアニメ映画では、かなり出番が減っている。ここでいうのは主にマンガの竹内先生についてである。ただしアニメでも基本的な性格は変わっていない。

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あいすくりいむの話~または誰かの見た夢

※映画「この世界の片隅に」のネタバレ・根幹に触れています。気になる方はご注意お願いいたします。

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劇中に「あいすくりいむ」が出てくる場面がある。

朝日町に迷い込んだすずさんが遊女リンさんと出会い、甘いものの絵を頼まれるが、すずさんには「あいすくりいむ」がなんなのか分からない。

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ここには物語の秘密と矛盾がある。

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